ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

億男を見てきた。※ネタバレ注意

BUMPOFCHICKENが主題歌を書き下ろしたということもあり、内容的にも気になっていたので億男を見てきた。

これは、「お金の正体とは」がテーマになっている。
あとお金と人との繋がりとか。

見て思ったことを書き留めておこうと思う。

人はお金の話になると敏感になるしシビアになるし顔色が変わることがある。

時としてお金の話が必要なときもあるけどそれよりももっと人としたい話がある。

お金で頭をいっぱいにすることより、お金で人を動かすことより、大事なものたくさんあるはず。きっと。

お金のためだけには働けない。
そうはいってるけど、お金がないと生活はできない。お金を使っちゃって減ったらやっぱり少し不安になるし稼がなきゃってなる。結局お金に支配されてんだなぁ。ってなってたまに人間の営みってなんなんだろって思う。

どこかでお金なんてなくても生きていけるような気がしてるし、本当に人を動かすのはお金なんかじゃないとも思っている。

ものにして、サービスにして、お金にして、便利になったのか、大事なものを隠して見えなくしてしまったのか。
お金で代わりがきくものなんて本当はそんなに大したものじゃないのかもしれない。

お金は手段であって目的では決してないということ。なんのために必要なのか。それが分かっていないといつの間にか呑み込まれて大事なものを忘れてしまう。
お金の存在は人によって重みが違うこと。
だからお金のためだけに死にそうな顔して働いている人を別に咎めているわけではない。
だけど、なんのためにを忘れてない?と私自身も問い続けていたい。


映画に出てきた詩集が私の好きな長田弘さんのものだった。
本当にこの映画とはリンクしている部分があると感じた。
そしてふと思い出した。
詩のなかに『理解されるためにことばを使うな。理解するためにことばを使え。』という言葉があった。そういうことだよなぁとなんとなく今しっくりきた。
自分が自分がとか、自分のことばかりを語ろうとするのでは人のことはわからない。人をわかろうとする、人を引き出すためにことばを使いたい。人を知りたい、知るためにことばを使える人でありたい。
そういえば、映画のなかで一男は「お金を使える人間になりたい。お金に使われるんじゃなくて。」といった。それも確かに。そこをまるまる変えて、
「ことばを使える人間になりたい。ことばにつかわれるんじゃなくて。」(惑わされるんじゃなくて)


同じ瞬間にそこにいても、隣にいる人が何を感じてどんな言葉を見つけたかは話をしなきゃわからない。話したとしても相手と自分が同じ位置、純度にいなきゃそれは伝わらない。

だから、本当に物理的に話が出来ないときもあるし、話をしてるんだけどほんとうの話ができてないときもあるし。その全部を含めて主題歌の「話がしたいよ」だし、それが今の私でもある。



主人公、一男と九十九は大学の時からの親友で、モロッコに旅に一緒に行ったときのことがこの物語のキーにもなっている。
何年も会ってなくて、宝くじに当選した一男が思い出して相談したのがのちに、その三億をもって姿を消す九十九だった。

ロッコの旅では、お金はいらないと言われて強引ながらも道案内する青年に不安ながらも付いていき、ちゃんと連れて行ってくれて安心と感謝したところでお金を要求される。
一男は少しだけならと渡そうとするが九十九は、こういう時はちゃんとしなきゃと「お金はいらないといったよね?」と頑なに断る。すると青年は顔色を変えて、暴言を浴びさせて帰っていく。


はたまた入った食器店で、一男が倒れて食器を割ってしまう。。九十九は大丈夫か?とすぐかけよりお店の人はどうしてくれるんだと怒鳴り散らす。そこで画面は切り替わった。
一男がホテルで目覚め、34万、九十九が払いその場は収まったという。
どうしてそんな大金払ったんだ。という一男に対し「足元見られると言うのはこういうことだよな。あの時、和男を一刻も早く病院につれていくにはああするしかなかった。大丈夫。皆お金を払うと言ったら親切にしてくれた。」
といった。

こんなことがあったのに、この二人がこの出来事に付いていく話す場面はもうない。普通だったら、お金で態度が変わったとか、あの出来事ですごく嫌な気分になったとか、絶対ぼったくりだとか、人の心ってなんなんだろうとかってなにかしら会話をしたくなるはずなのに、二人が話した場面はない。


そして場面はかわり、砂漠を歩きながら九十九が「大学を辞めて起業する。もう待てない。この旅はきっかけになった。人によってものの価値はちがう。ものに自分で値段をつけて売る。そして買いたい人がそれを買う。それは凄いことだ。それをネットで誰にでも出来るようにしたい」と打ち明ける。「資金はどうするんだよ」と問う一男に「バイト代を少しずつ投資して1億になった」という。それをきいた一男は、「なんだーー。俺、バカみたいじゃん。必死に格安チケット探してやっすいホテル探して…お前すごいよ。普通に喋れて(九十九は吃音症で落語とこの夢を語るときだけすらすら喋れた)、1億持ってて、起業しようだなんてさ。」という。それに九十九は「きてくれた?」「俺が全部出すからって行ったら一緒にきてくれた?」「俺はお金の正体が知りたいだけ。俺は俺だ。変わらないよ」といった。
ここでは客観的にみたら、一男は急に立場が違うように思えた九十九に劣等感や悔しさやちょっと距離を感じたのだと思う。九十九はそういう一男をみて今までの人みたいに急に態度が変わるのか?と悲しく寂しく感じたのだと思う。
でもやっぱりこういう気持ちは言葉の裏側に隠れる。

最終的に、3億円を持って再び現れた九十九。
「今、このお金どう見える?」ときく。
「ぜんぜん違う。最初に見たときと。お前はこれを教えてくれたんだよな。」
「お前はそう言うことをする訳ないと信じていた。」と一男はいう。

そんな数々の印象にの残ったシーン。

そこで話がしたいよの歌詞。

「この瞬間にどんな顔をしていただろう
いったいどんな言葉をいくつ見つけただろう
ああ 君がここにいたら 君がここにいたら
話がしたいよ」

話してるときは意外と相手の顔をちゃんと見ていなかったりする。見れないときもある。
同じ景色をみて、同じ瞬間を過ごして隣にいた君はどんな風に感じたのか、どんな言葉で表したのか。
もし今ここに君がいたらそのときは話せなかったことを話そう。

「今までのなんだかんだとかこれからがどうとか
心からどうでもいいんだ そんなことは
いや どうでもってそりゃいいすぎかも いや 言い 過ぎだけど
そう言ってやりたいんだ
大丈夫 分かってる」

今までのこととか、会わなかった期間とか、知っている君とか、知らない君とか、どうでもいいんだ。
本当はたまに色んなこと考えて全て本当にどうでもいいとはいえないけど、そう言いたい。
あれこれ考えてしまうけど、変わらないから。君のことは分かってるから。


なんて、勝手な個人的解釈だけど。
映画のために書き下ろしただけあるなぁ。場面と歌がリンクする。いやぁ、凄いなぁと思う。


長く長くなりましたが、最後まで読んでくださった方ありがとう。
思い付いただけぽんぽんと書いたのでまとまりのない文になっちゃった。
映画はあまり見ないけど、たまにはいいな。