ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

2019.6.11

前の職場の人とランチをした。
数週間前に友達と会ったときより楽しかった。
でも私が一番年下なのにやっぱり気を遣えなかった。
私の上の先輩が気配りを上手にしてくれた。
それは私の役目だとわかっている。
できない自分への嫌悪感とプライベートのランチでもがんばらなきゃいけないのかという疑問と普通の人はそれが当たり前にできなきゃいけないんだろうなという疲れたが入り交じる。年上には敬語を使うくらい当たり前レベルの話なんだろうな。それはできるけどその上ができない。

話しててみんなそれぞれ色んなことと向き合って生活していると改めて思った。
私の本当に話したいことはやっぱり話せなかった。
誰にも話せていない。このまま私が一人で吐き出さず持っていくべきことなのかな。
みんな孤独。
こんな風にたまにひとりひとりが集まって話をするのでは、どこまでの状況を知っていたかさえもあやふやだったり、結局ほとんど前と同じ話を繰り返していたり、記憶が途切れ戸切れだったり。忘れちゃったことや言えないことや伝わらないことの方が多くて、それぞれがそれを抱えて生きるしかないんだなぁ。


私は今まで関わっていた人を何かの拍子に思い出すのは自分だけだとなぜか思ってしまう。
みんなの中からは私が離れた瞬間から私という存在が記憶から消えてしまうかのような、初めから居なかったものとみなされるような感覚がある。
けど、一時期だとしても繋がった人の中に私と同じようにその人の中のどこかに存在していることを思い出した。

楽しかった。
職場の人としか話さない毎日で、そこだけじゃない違う世界との他の繋がりもやっぱり大事だと思い出した。

でも繋がりを築くことはまだやっぱり怖い。

いつもそう。きっとまたすぐに忘れてしまうことばかり。
いろんなことを忘れる。忘れていたことも忘れる。
たまに思い出したとき、忘れていたことを忘れていたことに寂しくなる。胸が締め付けられる。





最近時計が欲しい。
今日見てまわったけど、どの売り場に行ってもしっくりしたものが見つからない。
はっきりこんなのがほしい!と頭の中でも描けていない。だから見つからないんだと思うけど、もどかしい。
唯一言えるのは自分が気に入ったものを身に付けたい。惰性で買ったものは嫌だ。それだけ。
時計の頭になっているとこのお店にも時計置いてるんだ。あの人がしてる時計かわいい。意外とみんな時計しているんだな。と目に入るものが変わってくる。

今日はコインロッカーを使う用事があり記憶を辿ったけど、普段は必要ないからいつも自分が使う駅のコインロッカーの有無が確かではなかった。

人は、普段から必要なものしか見ない。見たいものしか見えない。見ようとしないと見えないものがたくさんある。




『いい加減家に帰るかな 冷たいコーヒーを飲んだら
コーヒー好きなオマエのさ 馴染んだ顔が浮かんだよ
こんな1日を笑ってくれるんだろうなぁ
こんな1日の思いはお見通しなんだろうなぁ』

ベンチとコーヒー/BUMP OF CHICKEN

こんなことを書いてるとふと思い浮かんだ。
メンバーがメンバーを思い浮かべて書いたんだろうな。
なんかちょっと羨ましいや。