ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

あなたは、なぜ、つながれないのか ラポールと身体知 / 高石 宏輔

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これは、街で大きな本屋の文庫本の新刊の棚の一番右端に数冊並べられていた。

きっと、見えない人には見えない位置だ。

私は呼び寄せられてか知らないけど見つけてしまった。

しかも、「あなたは、なぜ、つながれないのか」だ。

どきっとした。私のことだと思った。

手を伸ばして本を開くときに少し怖くもあった。

 

プロローグにこんなことが書いてある。

 

渋谷のスクランブル交差点でのはなし。

「この場所で、顔を上げて、目を開けて、周りにいる人の顔を見ながらすっと気持ちを落ち着かせて立つことは難しい。」

 

「少しでも他人を怖いと思うと、それができない。他人と目を合わせられなくなり、姿勢は少し前かがみになってしまう。目の前にあるすべての目を見るつもりで、周りに意識を向けてみると、身体の中に周りの人たちの意識が入っては抜けていくことが繰り返されるように感じる。

いつもこうして立ってみて、今の自分のコンディションを確かめる。」

「周りを見ず、自分の殻に閉じこもって動いていた人々は、群れると突然大きな声を出す。閉じていたからが突然開いたというよりは、殻をとじたまま刺激に負けじと叫んだり、笑ったりしているように見える。」

「ここで生きていくためには、彼らよりももっと大きな声を出して、彼らにぶつかっても勝てるような、もっと硬くて強い身体を手に入れなければいけないと思った。

僕も楽に生きていくために殻が欲しかった。」

 

私は渋谷のスクランブル交差点には行ったことがないが、自分が「他人が怖い」と思っていることを知っている。

渋谷のスクランブル交差点でなくたって、細い道で人1人とすれ違うのさえ苦手だ。

普通に歩けばいいものの、どこに視点を定めたらいいのか、変な緊張が走る。

すれ違う人にさえもどう思われるか気にしているのだろうか。フラットな自分でありたいのだけど、堂々と居たいという気持ちからか、無駄にまっすぐ前を見つめて、私は何も見えて居ないかのように、流れる景色よりも通行人が無い存在のようにしている。

それは、大通りでも同じだ。人の顔などみていない。ただ、物体にぶつからないために、私とその物体たちが切り取られた別の存在なものかのように歩いている。

しかし、私は殻はもういらない。こういう時は殻に閉じこもっている、どんどん内に閉じていっている証だと知っているから。

 

と、書店なのに冒頭だけで自分と向き合うことになってしまった。

少し、この表紙の本をレジに持っていくのは恥ずかしさがあった。

それは自分が人と繋がれないと悩んでいると思われるであろうという思い込みがあるから。

でもそういうところでは、人にどう思われてもかまわないので無事会計を済ませた。

 

家で引き込まれるように読んだ。

読んでみて、とりあえずこの本についての事実だけ書いていこうと思う。

 

この本の著者は、コミュニケーションが苦手で、グループの輪にいるより端に居るような人物だった。大学時代は引きこもり、心身に体調をきたす。カウンセリングを受け、自らもカウンセリングの知識も深めていく。自分のコミュニケーションを変えるために見知らぬ人に声をかける、路上ナンパを始める。そこからコミュニケーション自体を見つめ直していく。ナンパ講座、カウンセラー、ワークショップなど活動している。らしい。

 

内容は、

内側に意識を向ける、自分と向き合う、自分の弱さを認める。

自分の行動、体の緊張、そのときの気持ちの観察を行う。

自分の無意識にしていることにこそ意識を向ける。

でも、外側にも意識を向ける。

内側と外側に意識をむける(トランス)に入れた時、人は同調することができる。

(※ここでの同調は、表面的な賛同とかではなくて、心が通じ合い、話している姿が自然で第三者からも違和感なく見えること。例えば話している相手の気持ちと同じ気持ちに自然に運ばれたり、落ち着き具合や緊張具合が同じような感じになっていること。)

 

 

こうすると良い。みたいな無理な具体的な行動が書いてあるわけではなく、自分の行動を掘り下げて、冷静に、客観的になって、自分がすべきでないことをしていないかどうか。

どういうときに何をしていて、それが何かしらの原因になっていると自分で気づけたなら、改善していけるだろう。

人は、人に言われたところでなかなかできないが、自分で体感的に気付いたことは改善できる。

 

そうして、自分を真正面から見つめることが他人を見つめることにもつながる。

自分を観察してリラックスした状態にいるとき、他人を見ることができる。

他人が入る余白が自分の中に生まれる。

 

というように前半は、

日常の自分の観察、他人の観察、体と感情の繋がり、同調、外と内の意識、自然な変化

というコミュニケーションをどうとらえるか、自分を見直すことなどが書いてある。

後半は、話を聞くということ、話すこと、会話や言葉による誘導・依存・自己嫌悪などの影響、思い込みについてなどちょっと実践的なことが書かれている。

 

 

かなり、情報量は多い。

書かれているのは大体同じようなことだが、章によって、かみ砕き方が違ったり形が変わっている。全ては大きく繋がっている。

1つの大きなジャンルの本といったらいいのだろうか。

著者の実体験で得たコミュニケーションについて、人と人との表面的ではなく内側での繋がりについて、そういうことで悩み苦しんでいる人への生きにくい人へむけてへのヒントの本だと思う。

取り入れるかどうかは読者次第。

 

 

簡単な感想

私は、ちゃんと事柄と向き合ってないことがあると気付いた。と思う。

けど、向き合おうとしたら頭が痛くなって、考えることを頭が拒否をしている。

人のせいにしたり、環境のせいにしたり、諦めたふりをしたり。どうしたら向き合えるだろうか。自分が避けているところを見るときが必要だ。

自分を分かっているつもりでも、まだ無意識の部分、見えていない部分がたくさんあるのだろう。

内側に意識を向けるのは得意だ。でもそれで現実逃避をしていることにも気付いた。

そして外への意識は少なかった。

人と話したい、でも話すのが苦手。繋がるのが苦手。

もう少し時間が必要だ。そして否定も肯定もアドバイスもしない話を聞いてくれる人が私には必要に思う。

周りの人の観察から始めてみようかな。

こういう、訓練的に自分もに人にも意識を向けて平和的な自分を保てるようにすることも大切だと思う。

けど、ピュアな心で感じたままに人と接することも忘れないでいたい。

この2つはきっと、同じようなことなんだ。それが分かりかけているけど、まだ分かり切れていない。

自分を活かして人と繋がっていくこと。まだまだ分からないけど、1つのヒントの本として受け取った。

 

 

 

あなたは、なぜ、つながれないのか :ラポールと身体知 (新潮文庫)

あなたは、なぜ、つながれないのか :ラポールと身体知 (新潮文庫)

  • 作者:高石 宏輔
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/12/25
  • メディア: 文庫