私が冒険物語りがあまり好きじゃない理由が分かった気がする。
香川のホテルにてテレビを付けたらワンピースが放送されていた。
ワンピースも昔からやってるよなぁ。
番組ついてたこともあったけど、のめり込んで見たことがないんだよなぁ。
とのんびり眺めていた。
ふと、浮かんできた。
これは冒険の物語であり、行くとこ行くとこで出会う人が変わる。
主人公とその仲間たちが移動して、色んな人物がでてきて、その出会いによって成長だったり物事が解決する感じがある。
生活が見えないから、生活には根付いてないから
夢中になれないのかもしれない。
主人公たちの志というか、強い意志は見えるのだけど、この人たちがどういう生活をして、どういうものが好きなのか、が全く。
それはいつも一緒の服や言動からなんとなくの性格を読み取るしかできない。
だからなのだと思う。
逆に人の生活に根付いた物語。
わかりやすく言うと、サザエさんやまる子ちゃんは好きなのだ。
家(帰る場所)があり、生活圏内から外れず、登場人物が大体同じ。
その中の日常や暮らしの中での人との関係性や出来事から物語ができている。
そこにいる人あるもの存在自体がそのものを表しているにも関わらず、私は「この目の前の人は誰なんだろう。私は今なにをみて、誰といるんだろう。」という感覚に陥る。
今を感じることが苦手なのだろうか。
それが性質だからといって、自分の生活、生き方を偏らせてしまえば良いと決めれるほど容易い問題ではないと感じる。
背景を知ると同時に、今を感じることは等しく大事だと思うから。
どうなりたいか。どっちでありたいか。決められない。
だけどこれだけは分かる。
触れているものが自分にとっての当たり前になるから、なりたいものや好きなもの心地良いものに囲まれていることはやっぱり大事なのだと思う。
作品や音楽や人。全てそう。
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ヒグチアイのライブ、高松オリーブホールに行った。
今回は弾き語り。
前の日の夕方にバスに乗って、一泊して次の日の夕方からライブ。
こういうちょっとした遠出も久々だった。
あー良い!!
移動するって大事。
ライブだけを楽しみにして1日を過ごすってなんて素敵なんだろうか。
私は、ずっとどこかに行きたかったのかも。
いつもの生活の外側に。
『群青』っていう曲があるんだけど、駅の向こう側の海の方がその曲似合うなって感じたのを思い出した。
高松駅周辺は困ることがないくらいの街だなぁと感じる。
商店街のアーケードがずっと伸びてて楽しい。
駅前でマルシェみたいなのをしていて、回ってみた。
売り子の方々が気さくに話してくれて嬉しかったし、楽しかった。
ついついたくさん買ってしまった。
朝ご飯はカフェで珈琲とエッグベネディクトを食べた。
店員さんが優しく素敵だった。
骨付鳥も食べた。
最初行って、名前を書き、電話して再び行くというスタイル。
そこの店員さんもみんな、はきはきして良かった。
おやどりを食べたのだけど、結構噛みごたえがある。
矯正中ということもあり、歯にかなり挟まってしまって、最後爪楊枝で取る作業がなかなか大変だった。笑
珈琲が飲める小さな書店にいった。
気になる本がたくさんあった。
最近の自分の興味は、仕事や生活、どうやったら苦しまずしてお金を稼げるか、言葉や話すことや伝えること。それらなんだということがわかった。
一冊、
『聞くこと、話すこと。』
という本を買った。
ここでも店員さんが話し掛けてくれた。
私の中で高松は、優しいあたたかいまち認定されました。
お金さえあればどこにでもいける。
人と話さなくたって。
だけど、どこかで人を求めているものだ。
ライブも良かった。
別に泣ける曲じゃなくとも泣いてしまったのは、今ここにいることがひどく嬉しかったからだ。
そして、ヒグチアイという人間を享受できていることが嬉しかったから。
ピアノと声が心地よかったから。
やっぱ凄いよ。弾き語りは。
高松はヒグチアイが生まれた所。
お祖母ちゃんが見に来てたらしい。
だからか知らないけど、いつもより朗らかな顔してた気がする。
『誰かの何かを祈ることは自分をさしおいてということである。でもそれが終わった時に、その応援していたことが自分のプラスになる』
『幸せになろうね』
と言った。
わたしは最近自分のことばかりだったなぁと思った。
それが悪いわけじゃないし、そういうフェーズにいるのかもだけど、忘れていたなぁ。、
はぁ。
必要な時間だった。
これは、昨日のこと。