ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

2020.8.10 赤穂 ~足りないものを補給しに~  

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自分の暮らすまちとはちがう場所で自転車を漕ぐ

住宅街、幹線道路、路地裏、坂道、畑のすぐそば、トンネル、川沿い…

この日は向かい風に力を奪われるほどに強い風が吹いていた。

暑い、とにかく暑い。ぽたぽたと汗が垂れる。

1人でシャワーを浴びたようになっていた。

でもなんか気持ちいい。

 

こういうのが足りてなかったんだ。

やっとわかった。

 

夏の記憶が蘇る。

人のいない静かなまちを自転車ではしる。家はあるのに、車は走っているのに、人はいない。なんだか悪いことしている気分とわくわく。突き進んだり、引き返したり、気になる道で止まってみたり。たまにマップをみながら。

まちの人は当たり前だけど道に詳しい。近道を教えてくれるけど、聞いても大体わからない。

謎の山登り。汗だくで頂上で寝っ転がって数時間を過ごす。

顔を真っ赤にして、汗だくになって、化粧なんか気にしない。(日焼けはきになるけど)

静かな海を眺める。波の音。夜の海。誰かの弾き語り。

移動の電車では疲れてうたたね。

夜はすぐさま眠りにつける。

暑いのは苦手だけど、なんだかんだこういうのは好きみたい。

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思い付きで計画立てずに行ったから、ここは行っとくべきみたいなところには行けてないし、美味しいものも特に食べてはないし、行きたいカフェは、既に受付終了だった。

ほんと、自転車でまちを駆け巡ってきただけだったけどなんだかよかった。

 

 

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このまちに行ったのは2度目。

何にもしらないけどなんだか好きなまち。

 

兵庫県赤穂市 

坂越駅下車

 

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どうしようもない

夏の夕暮れはほっとする。
嫌っている訳じゃないのだけれども、どうも夏とは相性が悪い。
朝から夕暮れまでは常に戦闘か衰弱モードだ。
空が色を変えだして涼しい風が吹き始める時間、ようやくほっと一息つける。
公園や海沿いに人が遅くまでいるのも単に明るいからだけじゃないと思う。


朝からどこかに行きたいと思った。
支度も整った。
だけどどこに行きたいかぐるぐるするだけでどこにも心が向かわなかった。
でもその行き先は家でもなかった。
誰もいない遠くに行きたいと思った。
でもやっぱり行き先は浮かばなかった。
暑さと感情がないどこでもない場所に行きたいと思った。
そんなのは無いか。

はっきり決まらないまま何冊かの本とノートを鞄にいれてとりあえず家を出た。

歩いていると汗がだらだら流れてくる。
電車にのってなん駅か先までいく。
チェーン店のカフェに入る。
ここではないなと思う。
いつも行っている個人経営のカフェに行く。
狭い空間なのでお客さんと店主さんの会話が耳に入る。
色んな情報がはいるけど、今の私にはそれを受け入れる余裕がない。
耳には入ってはくるけど心は遮断している。
なんか今日はここでもない。


どこに行きたいんだろう。
けどほんとうになにも浮かばない。

電車にのってよく行く駅で下車。
コンビニでアイスコーヒーをかって海岸に行って座って本を読む。
音楽を聴きながら海岸沿いを歩いて一駅分歩いて更に15分かかる自宅へ帰る。


私を私たらしめるものとはなんだろうか。

こんなどうしようもない1日があった。

身体について

健康ってなんだろう。
「健康について考えているときは不健康である証拠」
というのを本で読んだことがある。
そのことに意識がいっているから。本当の健康は何も気にしないで済むこと。
らしい。

私は、自分の不調に気付いて、身体の声をきくように意識し始めてから今まで、毎日毎日身体のことについて考えている。
最近はますますそれが強くなって、もっと身体のことを知りたいし、本質を知ることが身体をよくすることに繋がるのではないかと思っている。


日常生活から、姿勢、身体の使い方、力を入れるべきばしょ、抜くべき場所を模索している。
ジムに行きだして、3か月がたった。
以前と比べたら変わってきたこともたくさんある。

首や肩周り、上肢が常にしんどい私。
理学療法士の人や、ジムのトレーナー、整体の人、どこにいってもストレートネックとは言われてきた。それは私も自覚している。
ストレートネックをケアしなきゃいけない。

最近、病院でレントゲンを撮ってもらった。
本当に首の前弯は全くなかった。むしろ、少し後弯していると言われた。

日頃の体のしんどさは、ストレートネックからくる筋肉の緊張だったり、呼吸の浅さ、仕事での腕や手の使い過ぎだったりが原因かな。
ストレートネックがどこまで何に影響しているかは分からない。
頸椎は神経が通っている重要な場所で自律神経の乱れに繋がるとよくきくけど、それが私の場合どこまで影響しているのか。
頸椎だけではなく、胸椎や腰椎とも関係しているだろうし。
全体的な姿勢が関係しているのだろう。


病院で自分の骨を見ることができたのは良かった。
現状を正しく把握するという点で。
普段から直接的に目には見えない体の部分をあれこれと考えているので、本当にこんなにストレートなんだと認識できた。
単純に、「これが私を構成している骨なのか」とイメージできて、少し愛おしい(?)気持ちにもなった。もっと身体の内部を見てみたいとさえ思った。

ジムで鍛えて良くなっていること、身体の変化を感じているところもあるけど、割合的に私はストレッチの方が必要なのかなと感じた。あと呼吸とか。リラックスとか。

根本的に身体を元ある姿に戻すことからしないといけないのかも。完全に元には戻らないかもしれないけど。


たくさんの患者を診ている医者にとって、はよくあることなんだろう。

淡々と説明される。
診断を下すことができるが、本当にすべての情報を聞き出して共に今後を考えてくれる医師はほとんどいないと思う。
そもそも医師とは診断を下すことが役割でそういう役割ではないのかな。
それが機械的で冷たく思えるので、私は難病とかちゃんとした治療法がある症状以外は、病院は時間とお金を浪費してしまう所というイメージ。
現場で実践する役割を持った方々がいる。
最近はそういう方々が独立したりYouTubeSNSで発信している姿をよく見かける。

情報にあふれているから、何が正しいのか判断したいと思った時に、ヒトの身体の「本質をしる」「構造をしる」「機能をしる」「動きを知る」ことが大事なんだろうな。と思った。
何事もだけど、基礎が分かっていればぶれないと思う。それで判断したり、応用したりできるのだと思う。

そういうのを考えているときにTwitterで目に留まったのがこの方。

Kouさん
@koutopo
「ダンサー役者専門パーソナルトレーナー

とあるので、自分とは縁のない業界で専門のトレーナーがいるなら、「私のいる飲食製造業の業界にもそんな人が居てくれあらいいのになぁ」と思った。
私の業界でも、体を酷使し、俯いての前傾の作業+長時間労働とかで体を壊す人が多い。
そういう人は現場では働かず、経営に回ったり専門学校の先生とかになってる場合が多いのを見てきた。
どの業界もそう。表では綺麗な華やかなものに見えて、内側はボロボロで泥臭かったりする。
何にしても、身体を無視して、使い方を知らずしての完成形。
本末転倒というか、本当にそれでいいのかなって思う。
昔とはだいぶ変わってきて組織から個々へと変化してきていると思うけど、日本に根付いている文化とか風潮とか働き方もあったりするのだろう。
まぁ今日は置いといて…

話を戻す。
と思いながらなんとなくその方のツイートを見たら、惹かれるものがあった。
フォローして日々の発信から、
・私のアンテナが狭いだけだと思うけど、こんな動きをあげている人を初めて!すごい!興味深い!
・詳しくない私でも身体を表面的ではなく本質的に理解をしていると感じた
・1人の人間の中に身体のことについて色んな面からの視点があっておもしろい
・哲学的な発信もおもしろい

とよくわからないけど、「凄い人」だと感じた。「凄い」じゃあまりにも言葉が足りないけど、何者なんだろうと。
そして、私の個人的な身体の研究の何かしらのヒントになる気がした。

 


一度、YouTubeでのヨガの配信に参加してみた。 

ymcvsss.hatenablog.com

 


本当に身体が楽になった。
多分、この人の経験、知識、伝え方、動き、言葉、声の出し方…全てが合わさっての効果なんだと思った。




普段はダンサーや役者さんに対してしかパーソナルをしていないけど、ある日オンラインパーソナルなら一般も受け付けているとあったので思い切って申し込んでみた。
終わってから、zoomが不慣れだったり自分の中でいろいろと準備不足でちょっと勿体ないことをしたなぁと思ったのだけど、画面越しにでも直接やりとりができたのは貴重なものだったと思う。だからこそ余計にもっといろいろ考えておけばよかったと思った。

そして、Kouさん含めた3人でされている、「身体が良くなるonlinestudio」に参加することに決めた。

community.camp-fire.jp


お二人は、

たけさん @RihaClinicians このスタジオの管理者 理学療法士ピラティス専門

モッキーさん @chinesu4 理学療法士 スポーツトレーナー

前1度ちらっと見たときは、でもなぁ…と思ったけど思い切って参加してみようという気持ちになった。
オンライン上でのスタジオ。クラウドファンディング方式で、月額3000円以上で人の身体についての情報を受け取れる。
まだ最近参加したばかりだけどヨガ、ピラティス理学療法、スポーツトレーナー…これもさまざまな視点からきちんとした情報を受け取れ、信頼できる。

ライブ配信や、zoomでの企画、文字や音声や動画での専門知識の発信、歴史…

本当にたくさんの良い情報がありすぎて、私は追いつかない状況。
過去の内容をみていてい、インストラクター3人の発信や返信はこまめで、本当に身体のことに真剣で、動きが好きで、悩みがある人の力になりたいと思って活動されていると分かる。

インストラクター3人と参加者に壁があり別世界という感覚ではなくて、一緒に何かを学んでいるという。という感覚。
サロンに参加している方々も、アグレッシブな方々で刺激になる場。
皆、運動や楽器やインストラクターやダンスをしていたり、専門家だったりの人が多くて、私がここにいていいの?って思うけど、私は私で目的があるし、知りたいがあるし、わくわくもある。
逆にこんなに自分が知らない世界の人が居るところに参加できてラッキーだなと。
うまく活用して自分の世界を広げられたらいいなと思う。


身体のことを考えるようになって、これは私が一生をかけてみていくものなのだと思っている。
何を信じるか、何が自分に合うかは人それぞれで、それを自分で経験しながら探していくしかない。

このオンラインサロンは身体を知る、自分を知る、ひとを知る、感覚を知る、使い方を知る。

色んなことに繋がると思う。



個人的には…


どんな人でも身体の使い方って生きていく上で持ち合わせているべきだと思う。

生まれてから少しの間はこんなのじゃなかったのに、どうして抜け落ちてしまったんだろう。どうして忘れちゃったんだろう。昔はあんなにおにごっことか走り回ったり、うんていとか鉄棒とか体を動かしてなんぼな私だったのに。とついつい思ってしまいます。(身体はピークを越えたら退化・老化していくのは仕方ないとしても)

それでも、直接会うジムのトレーナーさん、オンライン上でのインストラクターさん、Twitterでの発信、何気ない言葉が、ふとした時に「あっこういうことか!」と感覚や身体とシンクロして、発見となり、自分の身になることが多い。
「身体」について考えるとき、個体差があり、誰も自分の内部を直視したことはないし、感覚も人によりけりで、それが一筋縄ではいかなくて、たまにしんどくなるときもあるけど、諦めはしない。面白いし。底はないんだろうな。
広く深い世界、これまた自分がどこにフォーカスを当てていくのか、どこから手をつけたら良いのか整理がついてない。
断片的に情報は得ていてもまだまだ知らないことだらけで、知りたいこともたくさん。
それを線にして身に付けるため、勉強と実際の動きを楽しんでしていきたい。

全て繋がっている

最近は意識が内に向かっている。

ある人に言われた。

「自分の世界に入っている」
「シャットダウンしている」
「恋愛とか興味なさそう。1人が好きそう。」
「好きな人がいても自分からいかなさそう」
「異性とあんまり話さなそう」

それが結構ずどーんと来たのはなんでだろう。

イムリーで最近、友人やカフェの店員さんとそういう話をしたから。
ちょっと整理。


何を感じたか
・相手が別に友人とかじゃなかったため、なんであなたにそんなこと言われなきゃいけないのと思った。
・昔から同じようなことを言われてきたので、もう聞き飽きた。
・そんな自分をいい加減受け入れたつもりだったけど、まだ受け入れられてなくてそんな自分が好きではないから無性に腹が立った。
・自分は変わってきている気がしていたのに、結局昔から何も変わっていないんだなというがっかり感。
・どれも事実だけど、恋愛に興味がないというよりわからない。そういう存在は欲しいし、1人が好きだけど分かちあえる相手が欲しい。それは分かって貰えないんだな。そう見られているんだな。でも誰かに分かってほしい。
・人との距離感難しい。あまりそういう話をしたい間柄ではなかった。一気に後ずさる感じ。でもそれは核心を突かれて怖いから?
・私はちょっと依存体質かもしれないから気を付けないと。興味を持った「もの・こと・ひと・場所」に対して一気に近づきたいと思ってしまう傾向がある。それで、他の事がおろそかになったり、牽制されたりする。そして勝手に傷付く→シャットダウンという悪循環。
・この歳になると、結婚の話題が出る。みんな恋愛ネタ好きだなと思う。でもいまだに私は結婚の概念はわからなくて、恋愛感情もはっきりわからなくて、今まで好きだと思ってきた人は本当にそうなのかも今となると分からない。ただの勘違いだったのではないかとも思う。
・口をそろえて「子供が欲しいなら早いうちが良いよ。」とみんな言うけれども、「といわれましても…」という感じ。今の時点で子供が欲しいとは思っていないので、あぁ、もっと歳をとって後悔するのかなぁ。なんてぼんやり思う。


あれ、おかしいな?と思う。
私、以前自分を受け入れたつもりだった。生きやすくなってきたなぁと感じていた気がしていたのは間違いだったのかな。
元に戻っていない?
『自分を活かしてあげたい』
『自分なりの人との繋がり方をしていく』
なんてこと言ってたのに、なんで劣等感を感じているの。なんで閉じこもっているの。
人も言う「そのままでいいと思うけどね。」
私も自分がそれが好きならそのままでいいと思う。けど受け入れられていないのであれば苦しい。
自分は無理して変わる必要はないし、本質は変わらないと思っているけど、それが人と繋がることの邪魔になるのならどうにか術を手に入れなければならないとも思う。
人と繋がりたいと思っているから。
いや、もう一度身近なところから今までと違うことをしていかなければいけないと、今日の店員さんとの雑談で思った。




今回の『サクちゃんと蘭ちゃんのそもそも交換日記』にこのようなことがある。

cakes.mu

“自分で「やりたいからやる」と決めて行動するとき、必要なのは責任ではなく、覚悟なのだと知りました。そこに飛び込む勇気と、飛び込んだ後も心と行動を近づけていくには、「断固として変わらない覚悟」ではなくて、「決め続けて変わり続ける覚悟」が必要なのだと思います”

「やりたいこと」を構成する4つの要素を、サクちゃんはこのように分けていました。
・自分がよろこぶこと(単純な欲)
・もともと持っている性格や性質
・できること
・時間やお金の使い方

私はというと

・自分がよろこぶこと(単純な欲)
自分にない新しい何かとの出会い、ひとや場所やものの物語をきくこと

・もともと持っている性格や性質
1人が好き。物事や人に対して真剣に深く向き合う。黙って真面目に取り組む。思慮深い。

・できること
お菓子やパン製造・人の話をきく

・時間やお金の使い方
体力がないので長時間働けない。睡眠しっかり必要。予定を詰め込みすぎるのは苦手。自分のペースで過ごしたい。
お金は生活が無理なくできる程度あればいい。

これで、どこにベクトルを置くか。どうバランスをとるか。覚悟を決めてどこに飛び込むか。
できることに正直「自信」が足りないなと思う。

そして、交換日記はこう続く

「自信」とは「自分の感覚を信じること」なんじゃないかなと思ったんです
自分が何を感じているのかをちゃんとキャッチし、それを信じること。
そこには、他者の評価も、比較も、時代や情勢の変化も存在しません。
「自信」とは、ただ自分の感覚に耳を澄ませ、ただ信じること。

まずは自分の感覚を信じること。それを行動にうつすこと。
すぐに行動にうつせなかったとしても、「自分はこれが好きでこれが嫌い」ってことを信じられていたらそれでいい。「信じる」ということ自体、行動だから。
文字通り、「自分を信じる」プロセスの中に、「自信」があるのだろうなと思います。

あぁ、そうか。
私はどうも自分の感覚を信じられない。それが全てに繋がる自信の無さなのかと。
何がしたいのか分からないのは、自分の感覚を感じられてないから。
レーニングをしていても、このトレーニングの身体の感覚はこれで正解なのか分からない。
理論的に間違っていたとしても、自分がこの感覚で正解と思うことも大切だと思う。
感覚は人には伝えられないから、自分が探して感じて信じる他ないのだから。
だから、人を好きになることも分からないのだろうな。
自分の感覚を信じることができないから。
自分の感覚に耳を澄ませ「感じる」そしてそれを「信じる」という行動から始めなければと思う。
そしてようやく物理的な行動に移せるのではないのか。
そこからもういちど始めてみよう。


「361°の位置 今何が見みえている?
挫折と悩みと悲しみ さよならの上」
「ほら始まりに戻ってきた 今何を抱いている
誰かの顔とか浮かんで まだ続いているとわかって」

SUPER BEAVER /361°

本にも人間の変化を説明するのに、「360°ぽんっと抜けたところ(上記の歌詞で言う361°)。始まりに戻ってきたようだが「~し切る」状態。シンプルに見えるが極まった状態。
それでいて螺旋状に上昇していく。」というのが適切ではないか。とあったのを思い出す。

皆、「詩人」だなと思う。何をしているかが違うだけで、本質を突いている。

私もぐるぐる回っていつも元に戻ってきているだけのように見えるけど、上昇しつつもあってほしい。

必要なもの

晴れた日なんかは海岸でゆっくりするのが良い。
この季節は夕方からが良い感じ。


やっぱり家じゃないどこかの居場所を求める。


席数を減らしてでも存続するカフェたちはそれを物語っている気がする。

買って帰って家で食べるのとは何が違うのだろう。
何で家ではそれが満たせないのだろう。
1人になりたい。考え事をしたい。そんなときもどっかお店に入ろう。と思ってしまう。
私の住んでいるところや職場周辺にはそんなお店があまりないので、雨の日にどこかでゆっくりして帰りたいと思ったときにここって場所がなくて残念に思う。
大体いつもMUJIカフェにお世話になる。スタバはちょっと違う。

家に帰ると『生活』が待っているから多分気が休まらないのかな。
ある人が「本当は寂しいって思ってるんじゃない?」と言っていた。
寂しさと気が散乱するのはイコールなのかなとピンと来なかったけど、『満たされていない→落ち着かない』ってことなのかな。
単純に家は地べた生活で座っていて態勢を整えにくく体がしんどいって言うのもある。
机、椅子をおくとかって少し環境を整えたら変わってきたりもするのかな。


それでもやっぱり家には無いものがカフェや喫茶店にはあって、逆に家で作り出すのは不可能なのでは?と思う。
つくるとなると完全なる個室を用意して、そこだけは生活を用いない理想的な空間をつくり、必要なときに出入りするのが一番の得策かもなぁ。
周囲の人、声、会話、音楽、調理音、食器を下げる音など全てがあってこその空間だからやっぱり無理か。

なんてことを考える。
今、私に必要なものってなんだろう。
何となく分かるけど、環境の変化、抑圧、牽制が入ってきている気がする。
気にしなきゃ良いだけなんだけど。
色んなことが起こっているけど、必要なものを吸収するためにどうしていったら良いのだろう。

雨が撃ち付ける窓のそばで

いつものベッドの上で眠れなかったので、本を読んでみたり、深呼吸をしてみたり、音楽を流してみたり。

場所を変えようと、地べたにマットを敷いて、毛布を掛けてジャズピアノを小さい音にして掛けて仰向けになった。

そうしたら2時間くらいは眠れた。

目が覚めてしまったのは、夢によって感情が呼び起こされたから。

 

激しい哀しみが生まれた夢だった。

夢による感情は内側からじわじわと湧き出てくるが、あまりに激しい。不思議だなぁと思う。

声を上げて泣いてしまう。足で宙や布団を蹴飛ばしてしまう。

日常生活でこんなに激しい感情は湧いてこない。

と、泣きわめきながら自分を客観視している自分。

 

これにはなんの意味があるのだろう。と、

最近は忙しい。仕事が。でも、この忙しさは上の人が忙しくなり、仕事がこちらに回ってきている忙しさである。お客さんが増えたことによる忙しさではない。内部事情によるもの。

身体の負担は大きいし、なんといっても私はキャパが少ないので、仕事の日は、あとは他に何もすることができなくなる。

大体、お惣菜を買って帰る。家での家事もおろそかになり部屋が散らかってくる。そしてとにかく寝る。寝てもなんだか疲れがとれないまま仕事へ向かう。

別に、嫌というわけではなく、私は皆の仕事量のバランスが取れ上手く回るように立ち回ることができればいい。周りの人が自分の仕事に集中できるように。というスタンスで毎日を過ごしており、そんなに精神的に参っている気はしていなかった。

だけど、休みの日になると、眠れなくなる。やりたいことができる時間も心もまる1日ある。心置きなく、誰の動きを考えることなく、自分のしたいことだけをできる。どちらかというと興奮状態にあって眠れない。そのため、パフォーマンスは低下して、したいのに眠くてできない、身体が楽じゃない。という悪循環。結局1日なにしてたんだろう。となる。明らかに効率が悪い。

キャパが狭い私は、こんな状況で友達や家族へのLineも放置気味。

かといって、親しい人ではないけど人と接することは結構あって、それで感じることが色々ある。

 

前提にある今の生活。

 

 

そして夢を自分なりに分析。

内容はざっくりと、

「部屋の襖を開けると、小学生の同級生が真剣に書道を先生に習っている。その書道の先生は今の職場の上司。部屋を開けた瞬間に先生とは目が一瞬合った感じがした。私は、聞きたいことがあり、声を掛けたいが、かけられない。ようやく出た声も小さくて届いていない。(もしくは聞こえないふりをされている。)ますます怖気づいて声が出なくなる。何度も呼ぶがこっちをみてはもらえない。そして近くにいた人間(今の職場のひとだった)が見兼ねて、先生を呼んでくれる。そしてようやく先生がわたしを向く。読んでくれた人間が、先生にこういった。「様子をみて察してくださいよ」咄嗟に私は「そういうのはいい。」と言った。先生は「そういうのはいいんだって。」と言った」

という所で完全に意識が戻り、ふつふつと哀しみが湧き出てきた。

そもそも夢って、現状の自分の声、無意識もしくは気付かないようにしている部分の何かしらの訴えだと思っているところがあるので私からのサインはなんなんだろうと考える。

たくさんみつけた。

 

・扉を開けた瞬間にあっとなったのは、その場の真剣な空気。

自分には入り込めないような気迫、自分にはない熱量。

 

・人が話している所や、その人たちの作り上げている空気を割って入るのは苦手。

自分が苦手な部分。胸の辺りがもやもやする。

 

・自分の存在に気付いているはずで声も聞こえているはずなのにこっちを見てもらえない。

ただ、意地悪をされているような悲しさ。こっちを見るに値しない自分のふがいなさ.

 

・人の声は一発で届き、自分の自信のなさからくる声の小ささ

人の力を借りなければこんなことができない。簡単なことなのになんでできないんだろう。

 

・更には同情されて察してあげてなんてことを言われる。

自分の力不足なのにそんなことを言われるのは恥ずかしいという気持ち

 

・先生の「そういうのはいいんだって」

切り離されたというか、受け入れてもらえない、認められてないという気持ち。

 

 

根本にあるのは、「誰かに見てもらいたい」のかもしれない。

我ながら子供みたいだなぁって思う。見てもらったらそれはそれで多分鬱陶しく感じるのに。

今、みんな表面的なやりとりしかできていない気がしている。

 

もし、私も頑張っているのに…って思っているならそんなもの恥ずべきことだと思う。

何のために頑張っているの?褒められるためではないでしょう?

手にかけてもらえないのは、それに値する人間じゃないから。力不足、熱意不足だから。と思っている。そして、さまざまな面で周りの人と比べては劣等感を抱いているのかも。割と人と話すことも多く、情報も取り入れているから。

そして、今の仕事の仕方じゃきっと限界がくる。身内の為に仕事をしているから。人に届くように仕事をしたいのに、どうもそういかないジレンマ。どっちが本当の私?

自分がしていることがどうもうまくいっていないというか、スルーされている、素通り、あるけどない、誰にも何も届いていない気がして虚しいのかも。誰かから助言というか、人から見た自分をしりたいのかも。

 

「自分の生きがいは他人を巻き込まずに自分自身で得る」

 

この言葉に出会って、そうあれたらと思うけど、まだまだ。

 

多分、これを書くのも、私はここにいるよっていう小さな叫び。

勝手にお返事 ~交換日記⑤~

毎週火曜日更新の「サクちゃん蘭ちゃんのそもそも交換日記」

 

 

cakes.mu

 

 


今回は蘭ちゃんの回。
サクちゃんが出演した「セブンルール」という番組に因んで蘭ちゃんのセブンルールが書かれている。
そのうちの4つぐらいは仕事に関してのものだった。

 

私のセブンルールはなんだろう。

 

①物を増やさない。身に着けたり使用していて心地よくないものは即捨てる。

 ・部屋がごちゃごちゃして意識が分散してしまい、落ち着かない。

 ・移住するときは物が少ない方がいいから。

 ・勿体ないからといって使って嫌な気持ちを積んでいかないように。

 

②靴は紐を解いて踵を合わせて結んで履く、汚れたらその日のうちに拭き取る

 ・単純に健康面でこの方が歩きやすい。靴をちゃんと履いている感じがする。

 ・スニーカーが好きで、大事にしたい。

 

③体がどんな調子か、どう反応しているか耳を傾ける(強張り、呼吸、しんどさ)

 ・この体の声をきくことが、居心地の良さや気持ちに気付くことに繋がる気がする。

 ・直感的な判断の目安にもなる気がする。

 ・まずは身体を良い状態に保つことを何よりも優先。(プラスでなくてもせめて0に戻しておく。マイナスのままにはしておかない)

 

④毎晩ストレッチや深呼吸をして体を緩める

 ・③と繋がるけど、体の不調をできるだけ自分で取り除いていきたい。

 ・自分の身体は自分がつくると思っている

 

⑤予定を詰め込みすぎない

 ・③④あたりと繋がるけど、詰め込みすぎていたら、体がしんどくなるので。

 ・予定が連日続いたら、何もしない日や思い付きで行動する日をつくる。1人でただただひたすら歩いたり、静かな自然に身を置く時間を作る。
 ・歩いている時が一番リフレッシュしたり、体が軽い。頭の中も整理できる。

 

⑥行きたい場所、見ていたい人、会いたい人、興味を持ったものに対しては先延ばしせずに行動。できるだけ直に触れる機会を持つ。

 ・新しい発見や出会いが好き。人が好き。

 ・自分で見たり直接感じ取ったものを信じる。

 ・自分が心から良いと思ったひとやものとの直接的な繋がりを大事にする。 

 

⑦本、カフェ、新たなものに取り組むためのお金は惜しまない。

 ・カフェは私の好きな場で大切な時間。

 ・本や新たなものに取り組むためは、自己投資。買って満足してしまい、ろくに使わない物や読まない本もあって、「それほど興味なかったのか」とか「それ以上にしたいことが今あるんだ」とか「今の私には使いこなせない」とかそれもまた新たな発見で面白いので無駄遣いとは思わない。

 

 

というような感じ。似たり寄ったりだったり、具体的じゃなかったりする。

しかも全部うまくやれてるかと言えばあやしいし、前提でどれも頑張りすぎないが私にはある気がする。

そして、現状は仕事と生活がくっきり分かれているんだとも分かる。

私のルールとは、全体的に自分が心地よく生きていくためものだった。

 

蘭ちゃんはいくつかのルールが「キャパシティが狭い私への対策」と書いていた。

私もそれに当てはまり、キャパシティが狭い。(ということにようやくここ数年で気付いた。)それに気づかせてくれたのは今の職場の上司かもしれない。

人から見ると、広範囲で色んなことを器用にこなすタイプらしいけど、それがある一定のところ(自分のキャパ)を超えると、全部が雑になってくる。それは外から見て分かること。

そうなんだと認識してから内側を探ってみると、確かにキャパ以上のものをタスクがあるときは、頭が整理されていなくて、あっちいったりこっちいったりして全部に手を付けているけど進んでいない感じがして不快。

元々は何事にも「量より質」でいたいタイプなのに、量を求められると質まで行き届かなくて、大事にしている部分を大事にできなくて不快。

気持ちばかりが焦ってしまい、その気持ちとは裏腹に実際の物事の進み具合が遅く、ますます気持ちばかりが焦ってくる。

そしてそれは身体にもあらわれて、過緊張、浅い呼吸。ますますパフォーマンスは下がる。

ということに気付いた。

それからは「抱えすぎない=(がんばりすぎない)」と自分で調節するようにして、そのような状態になりつつある時に気付けるようになってきたので、気付いたときは、ちょっと待ってこのまましても大丈夫?と問いかけるようにしている。

 

自分のキャパを知るというのは大切なんだとつくづく思い知らされた。

それは人とは絶対に違うということも言い聞かせている。

すると人のキャパも大切にできる。

できないことを責めない。できることは素直に凄いと思うし感謝する。誰もが日によって体調が違うことも理解して、自分が余裕があれば人の助けを買って出る。ようになった。

 

それを踏まえると、生活の中で自分のしたいことが生まれたとき、今の生活にそれを足すだけではよくないなとようやく分かった。どんどん息を詰まらせてしまうから。

何かを足すなら何かを引かなきゃ。あれもこれは無理。

時間には限りがあり、その中で身体の良い状態を保ったままできることは限られているから。優先順位をつけて、その時その時に順位の高いものからこつこつしていくしか方法はないなぁと思っている。

 

 

今回の交換日記を読んで自分のルールを改めて考えると、大事にしているもの、自分がどう在りたいと思っているのかわかるなぁと思う。

多分これは更新されていくものなので、その都度確認するのも良いと思った。

 

皆さんはどうでしょうか?7つじゃなくとも、自分ルール確認したことありますか?