ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

作品とは。

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朝一番のジャンボフェリーで高松にいってきた。
目的は、ライブ!!!
この写真はフェリーから拝んだ朝日。



ライブに行くと、普通に楽しめばいいんだけど、楽しんではいるんだけど、いつもふと考えることがある。

このリズム、音、曲調、歌詞、声、全部全部が今目の前にいる人達の中にあるものなんだなぁって。
この人達にしか作れない1つの作品で、この人達だから出せる音で…

そう考えると感慨深いというか、この目の前で繰り広げられているものを、ちゃんと目に映して心に残しときたい。
って思ってちょっと泣きそうな顔で必死で真顔で見てることもあったりする(怖い)


で、私の心に響いた曲を作った人がこの人達で、私はそれを長年聴き続けていて。
私はその人達のことを何にも知らなくて、だけど響くってことは何かしら一部だけでも共通する、同じ方向を向いてる部分があるんだろうなぁって。

知らなくて当たり前だし、知る必要もないけど、それがちょっと切ない気分にもなるときもある。
その作品が故人の物だったりすると尚更、もうその人のことを目にして、言葉を聞いて知ることはできないから。

時を越えて、こんななんにも分からない私の元にもちゃんと届きましたよ。って思う。
不思議。

そもそも作品を作ってる人は自分を示すために作ってるわけではないのに。それを探す私は変なのかな。



これは、歌の世界だけじゃなくて、小説、写真、書、絵画、料理、映画、漫画、舞台……色んなことに言える話。

作品って、その人が持ってるものしか出せないと思ってるから。
その人自身の何かしらが表れているものだと思ってるから。

私は作品を通して人を想うことが圧倒的に多い。
そもそも、作品の良し悪しなんか私には分からないし、所詮好みだとも思ってる。
そう。ただのその人の好み。

作品を見るとこれを創った人は、どんな人なんだろう。どんな気持ちでこれを創ったんだろう。
作品がどうとかじゃなくて、色んな想像をしてしまう。




これは私が撮った写真。
さて、この写真には私の要素が表れているのでしょうか?

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