ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

事務的な言葉だろうと、時としてそれに救われる。

 

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街はライトアップされてて、きらびやかだが、私の毎朝歩く道路にはまだいちょうが堂々とある。

 

さて、題名のような時はかなり疲れているか、自分が本当の孤独の中にいるかなのだと思う。

 

電車降車時での「この先もお気をつけて行ってらっしゃいませ」という言葉がすごくじーんとくる。

心の中で「ありがとう。行ってきます」と返していたりもする。

今、とてつもなく精神的に疲れているのかもしれない。

 

掛け持ちの2つの職場、同じ時期に新しく始めたので、慣れない場所で慣れない人と慣れない仕事を気を遣いながら、ほぼ休みなく毎日している状態。

実際、正直に言うとしんどい。精神的に。

私、こういうの向いてないんだった。

改めて気づく。

人付き合いも浅く広くは苦手。色んなことを一度に手広くやっていくのは不得意なことだったのだ。

忘れてた。思い出した。笑

 

新たな人と関わるのもとてつもなくエネルギー消費になる。

この人はどんな人なのか。どんな風に仕事をするのだろうか。どんな風に関われば良いだろうか。

手探りで始めていく。

周りがいい人ばかりだとも限らない。

今までが恵まれてたのだろうか。甘やかされてきたのだろうか。それともそういうのに耐えられなくなってきたのだろうか。(年をとると弱くなるのか…?)

 

慣れればなんとでもないんだけれども、最初がすごく負担。

とにかく、人との接し方や何をしたらいいかわからない状態が。

 

それに加え、今のストレスは片道1時間、満員電車での通勤だ。

今まで満員電車といっても3駅くらいの短い時間しか経験したことなくて、通勤ラッシュの満員電車の1時間はしんどい。

 

かといって、気分とは逆で私の体は強く、それが表に出ない(体調の悪化で現れない)ことは唯一の救いだ。

気にしてしまうことは気にしてしまうし、家に帰ってもやもやもやもやしてる時もある。

が、そんなの知るか。わかるわけないだろう。と心で言ってたりもする。

仕事をすれば良い。別にどう思われたって良いや。と思ってたりもする。

そして救われた人のことを思い出すとすこし落ち着く。

こういうとき、2つの私がいて自分を均等に保とうとしている。

私は意外とタフなようだ。

 

そんないろいろが積み重なって、精神的にきてるときには人の言葉がよく刺さる。

些細な言葉が。

良い意味でも悪い意味でも。

 

電車の「いってらっしゃい」が、仕事上の言わなければならないマニュアルの中の言葉だとしても、それに救われている。

職場で名前で呼んでくれただけでも嬉しい。

覚えてくれていること、一員とみなしてくれていること、肩書きで呼ばれないだけで救われる。

 食堂のおばちゃんの「いらっしゃい」と笑顔に救われる。

 

こんな風に誰かが私をいつのまにか救ってくれているのだ。

あなたの業務上のあいさつでも。

当たり前の様に感じる名前で呼ぶことでも。

 そんなあなたにありがとう。

そして私も知らないところで誰かにとってそうあれたら嬉しい。