ordinary day

思ったことを気ままに。自分を構成するものとは。他者とは。旅や自然。

目的地不明の通過地点

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今日は休みという休みだった。

1日だけでは遠くに行けない。行ってしまえばいいのかもしれないけど。

結局家のことをして、近くをふらふらしてといういつもの行動パターンで今に至る。

 

1人でいると私は何がしたいんだろうと、考えてしまう。

自分の時間を使いたいことに使えているのか。

そうならいいけど、自分が納得しているならいいけど、そう疑問に思うこと自体がもう答えみたいなもので、答えは「NO」なのだろう。

このもやもやした感じはなんなんだ。

今とても苦しい。

 

この歳で、ここへきて、こんなにもがくとは昔の私は想像していなかったはずだ。

小さい頃の私は、大人はやりたいことして自分で何もかも決めて迷いなく生きているものだと思っていた。

早く大人になりたいとさえ思っていた。

そんなはずなかった。

いつも何かしら、心配したり不安だったり決断したり…

いくつになってもそれは変わらないことだ。それに気づいたのはいつだっただろうか。

もう遠い昔な気もする。

 

 

今していることがすこし先の自分を構成する一部になる。

今日、本を買ったのだけど本当は目的の本があった。けどそれが何件か本屋にいったけどなかった。本屋をうろちょろしているうちに全く違う種別の本が目に付い手に取った。少し読み進み、そのまま購入した。

最初の本があればきっとそれを買っていて、これからの時間、意識がそちらに行くはずだった。だけど、タイミングが違って別の本を手にした。生憎(かどうかはわからないけど)、そちらに行くはずの意識が別の方へ向くことになる。

こういう日々の行動や選択が大きくじゃなくても1mmくらいは、これからの自分に何かしら影響しているんだよなぁと今日のこの出来事を思い返した。

1mmだとしてもそれが積み重なれば大きなものとなる。

「する」という選択「しない」という選択(=「手にするか」or「捨てるか」)

自分がそれを毎日の中で無意識に選択していることを思うと少し怖くなった。

無意識に自分がだめになる方を選んでいるかもしれない。もしくは自分がやりたいこととは逆のことを。

はたまた無意識に自分がなりたい方を選んでいるかもしれない。

それはどちらにせよ、無意識という名の意識的な行動だったりするのだろう。

そう思うと、もっともっと怖くなった。

 

 

ある人に送ろうとして途中まで書いたけどなぜか書けなくなった書きかけのメール。

行こうと思ってたけど雲が出て寒くなってきたので気分が乗らなくなっていかなかった場所。

歩こうと思ったけど少し楽をして電車を使った1駅。

渡そうと思って購入したけど、会おうと言えずに部屋に置いたままのお土産。

購入したのに結局使ってないもの。

通りかかって気になったけどなぜか踏みとどまって入らなかったお店。

自分との約束を守れなくなってきた自分。

駅までの道をいつもと違う道を通ってみる日。

 

この日常の些細な選択で、何を手にして何を捨てているのだろうか。

無意識と言ってもそれは、自分のやりたいかやりたくないか、気が進むか進まないか、嫌な思いをしたくない、傷つきたくない、楽、怖い…そんな感情で選択しているのだろう。

そんな大袈裟なと思うかもしれないが、逆の選択・行動をしていればまたちょっと違う自分になっているかもしれない。違う日々を送っているかもしれない。

 

今までの選択が今日、この今の自分自身や生活となって表れている。

特別「嫌だ」という思いはないけれども、「大満足」という思いもない。

私はすべて自分で選んできたつもりだから、人のせいにするとか、やり直したいとか、引き返したいとかは思わない。いつだってしたいことをしてきた。(はず)

ただ、今がよくわからない。

目的地不明の通過地点でさまよっている感覚にいる。