私が面倒くさい人間なのか知らないけど、人の距離感ってすごく大事。
「今そのタイミングで踏み込まれたくないこと、自分の中で考えたいこと」がある。
それなのに、容赦なしにぐいぐいそれについて踏み込んでくるのは鬱陶しい。
そうされると私は容赦なく引く態勢に入る。。
その人と距離がぐっと近かったとしても一瞬にして距離を置いてしまう。
そっとしといてってなるのだ。
それについて話すのは今じゃないんだ。(じゃぁいつ?と聞かれても分からないが)
話したいときになったら気づいたら自分から話してるから。
どうしてもそれについて私から聞きたいというならば、それまで待っていてほしいんだ。(ということは相手には伝えないけど)
そんな状態だと、特に家族が
「なんなの。あの子は全く連絡ないわね。生きてるのかしら」
とか思うらしい。
家族で私ぐらいなのだ。そんなに連絡を入れないのは。
他の家族はLINEのグループでよく連絡をとりあっている。
そんな時は、「生きてる?」というLINEが個人的に来たりする。
新たな人と接する時も慎重になる。
この人はどんな人なのか、どう接するべきか。
私はどんなときでも無意識に、人と接するときに、まず警戒をして様子を見る。この人はどんな人なのか、どういう風に接するべきか。分かるまで必要最低限の会話に終わらせて様子を見る。計算とかじゃなくて、多分こうやって世の中をすり抜けてきたから身に付いてしまった。
— ike (@n0_10st) 2017年12月12日
だから当たり前だが人となかなか距離が縮まらない。
誰とでも距離を詰めれる人っているけど、凄いと思う。
例えば、居酒屋とかで見知らぬ隣の人にさらっと話しかけてしまう人。
初めて行くお店の店員と、楽しく軽快におしゃべりを始める人。
なんなんだあの身軽さはと思う。ちょっと羨ましいと思う。
身構えて作ったこっちの壁をも飛び越えてしまうような、すっとこっちに距離を詰めてしまう人。それが嫌な感じじゃなくてさらっと。(ねちっこい感じはNG)
大抵私が距離が詰めれる人は何となく波長が合う人。それ以外は上手く距離を詰めてくれる人。相手のお陰。
前の職場を離れる時に言われたことがある。
「〇〇ちゃんが新しい職場にいったら今度はちゃんと自分を出してやれたらいいと思ってるんよ」
と。
そんな風に思われていたとは…
と衝撃を受けた。その言葉が忘れられない。
確かに思い切り自分を出せていたわけではないが、可もなく不可もない立ち振る舞いで過ごしていたと思う。
まぁ、そもそもが職場で自分を出す必要をあまり感じなかったり、気を張っている自分だから普段の自分ではいられなかったりするだけなのだけれども。
だから、職場で自分を出すというのはそもそも諦めている。
実際、引っ越しして環境が変わった今、新たに人と出会ったのは職場でしかなく…
自分を出す必要はないが、やっぱりどう接するかとかどの立ち振る舞いをするかとか、無意識に考えている。
あと凄く人のことを観察して、この人はこういう人だなぁと探り(?)を入れている。
距離を間違わないように。
がっと踏み込まれたくないが、自分から距離を詰めたいとも思う。(時もある)
というか、どちらかと言えば「自分のタイミングで距離を詰めさせて」と思っている。
だけどそういう時どうしたらいいのかわからない。自分から向かうのはとても勇気がいる。
大抵失敗するか、諦める。
多分同じことで、私が「近づきたい」とがんばって向かうと気負いすぎて相手が引いてしまうのだ。
こう、さらっと自然に距離ってうまく保つことはできないのだろうか。
居酒屋とかで隣の人に話しかける人(こっちも気持ちよく話せる)はどういう技を使っているのか。
距離を詰められるのも詰めるのも苦手ってどうしたものやら。
難しいね~、距離感。