「多動力」…いくつもの異なることを同時にこなす力
なぜこの本を読んでみようと思ったのか。
そういえばこんな人もいた。逮捕されてたよなあ。というなんとなく手に取って読んでみた。
自己啓発的な本はあまり好きではないが、読んでいて言葉が私の中に入ってきたので買ってみようという気になった。
堀江貴文とは私が小学生くらいのときだったかな。テレビに頻繁に出ていて世間を騒がせていたという記憶。
そして何かで逮捕されて、テレビからは消えた。
ということしか知らない。逮捕されたのもなぜ逮捕されたのか、検索してもなんだか難しくてあまり理解ができないが、決算の虚偽?証券なんちゃら~とか出てきたのでまぁその辺なのか。ということにしとこう。
テレビに出ていた時のイメージは・・・
スパスパ切るような物言いをする人。
賢い、世の中を分かっている。
自分にぶれがない。
そんな感じだった。
この本を読んでもそんな感じの人で間違ってないような気もしている。
読んで感じたこと
この人の持論は「確かに」「ごもっとも」なことがたくさんだが、これも1つのこの人の世界観であって誰しもがこれに共感して実行できるとは限らないと思った。
確かにこれからの世の中はここに述べてあるように進んでいくのだろうし、もうそういう世の中になってきている。
移動力は大切だと思うし、私も欲しい。
この堀江貴文という人間は、時間の使い方が上手で自分を楽しめるのが上手なのだろう。というか自分のしたいことしかしてないのだと思う。人のことなんて気にしない、自分に正直に生きているのだろう。そういう部分は羨ましいし、今私が望んでいるものだ。
そして、何事にもとてもロジカルで、感情があまり見えない。
この人は、効率・時間・時間・時間みたいに生きている人だなぁと何となく思った。
読んでいるこの本でさえもスピーディに流れているようだった。
全て全てそうだそうだと思う必要もないし、これはこの堀江貴文の生き方、持論であって、私はそこで自分が必要だと思う情報を自分に取り入れればいいし、いらないもの自分には難しいものはふ~んで済ませればいいかなと。
内容に沿って…
この人は最初に、
「インターネットがすべてのモノと繋がる時代。産業が水平分業型モデルとなり、結果「縦の壁」が溶けていく、かつてない時代に求められるのが各業界を軽やかに越えていく越境者だ。それに必要なのが多動力だ。」
と述べている。
多動力。確かに大事だと思う。今の世の中はそういう人が生き残っていけると思う。
「すし屋で修業してもなんの意味がない」「石の上にも三年の洗脳を解くべきだ」
(本文)
今の世の中、情報がありふれているから情報の価値は0らしい。情報があるのにも関わらず、すし屋で修業して自分の時間を割くのはバカだ。という感じに書いてある。
だけど言わせてもらうけど、情報があったとしても技術が伴わないと意味がない。情報だけで、自分だけであとはその通りにやって試行錯誤するのがいいと言えるのだろうか。それもまた時間がかかる話だと思うが。私は、技術を持った人を生で見る、傍で動きを見るのも凄く大事なことに思えるが。
多分これが昔ながらの古い考え方なのだろう。
堀江貴文が言っているのは多分、正しい情報を得たうえで自分のモノにした上でさっさとお店でも開いてしまえ。試行錯誤するのは開いてからやっていけばいい。みたいなことだろうと思う。
今の時代、本当になんでもインターネットが繋がっている。商売なんて、SNSで流行らせた者勝ちという流れになっていると思う。
そういうのについていけない私、乗っかろうとしない私は、この人でいう「老人みたいな20代」なのだろうか
「ネット・スマホでなんでもできる。仕事はほぼ全部スマホでできる。」
とあり、隣の人とも会話をせず、lineやメールで済ますらしい。
会議中でもスマホを見て仕事をしている。電話をかけてくるやつとは仕事をしたくない。(人の時間を奪っていることに気付かないような人間だから)
とにかく、「時間」だ。この人は時間というものを無駄にしたくない。直接会ってはなす必要はないと考えている。
確かに時間はとても大切。これも最近よく思うことで、私も人と会うことはその人の時間を奪うこと(例え友達だろうが)と考えているし、やりたくないことをして時間を消費するのはとても勿体ないことだと強く思うようになった。
今の仕事でも、こんな大人数でする仕事なのか。もっと時間短縮できる方法があるのではないか。無駄に時間と人数が多いだけの気がしてならないことがある。
から、この人の言い分は分からなくない。
だけどその反面、そこにいるなら直接言って欲しいと感じることもある。以前の職場がそうだった。なんでもかんでもメールでの知らせ。確かに、はるかに時間の短縮にはなるのはわかるのだが…コミュニケーション、信頼関係は直接話す中でより深くなるものではないのか。これも私が古い考え方だからなのか。今の世の中はこうではないのか。
特にこういう仕事について書かれた箇所では私の職業的になのか、あまり納得はできなかったけど、仕事に対しては私も少し冷酷というか、感情をあまり持ち入れないで「仕事をする」ので仕事に対する意識は多少分かる気もした。
こういう生き方の言葉は素直に入ってきた。
「やりたいことはやりたいときに全部やり倒す」
「誰もあなたのことに興味はない。他人の目など気にしない。」
「今を楽しむ」
「面白い人と面白い時間をすごす」
「自分で自分を縛る必要はない。生きたいように生きればいい」
「自分の時間を生きよう」
あとがきに
「多動力を身に着けると、仕事も遊びも次第に境目がなくなり、1日24時間がわくわくで埋め尽くされる。目的なんかなくなり、ただ夢中で日々を過ごすことになる。多動力とは大量の仕事をこなすための、技術ではない。命が果てるまで、1秒残らず人生を楽しみきるための生き方である」
とある。
これも一種の洗脳なのか。私は堀江貴文に洗脳され始めたのかもしれない。
でも、前々からブログでこんなことを発信していた。今の私の考えにとても近いのだ。
「本書を読んだからといって君が変革したわけではない」
そりゃそうだ。
今の自分に必要な言葉があり、実践していきたいところだ。