最近なんだか良い感じ。生活が良い。
毎朝気持ちよくぱっと目が覚めるし、働くというのも楽しい、久々に人と会う約束もできたし、以前なら目の前で帰ってしまっていた扉も割と開けている。
気の向くままにやりたいことをやり、食べたいものを食べ、行きたいところに行く。
なんだかいい感じ。
毎朝気持ちよく目が覚めることについて。
少し前までは、目覚ましがなり、止めては5分ごとに鳴り、ぎりぎりの時間になって、まだ寝たい。起きたくない。けど起きなきゃ、仕事行かなきゃ…よっこらせと無理やり体を起こしていた。
今は目覚ましが鳴る前に目が覚めたり、鳴っても何度も鳴らさずに済むうちに起きている。
なんだか起きた瞬間からわくわくしている。
働くことが楽しいことについて。
ここでも色々と書いてきたけど、自分の好きなことができているし、そこでの自分の役割が少しでもあるように思えてきた。ただ慣れてきただなのかもしれないけど。
自分にちょっと合わないなと思っている掛け持ちしている所の1つはもう少しでやめるし。
今まで書いてきたような、自分にとって仕事とは、好きなこととの付き合い方とは、生活スタイルとは、とかは漠然とまだまだこれっていうものが見えてなくて確立はしてないけれど…
今は前向きな途中経路に思える。
人との会う約束ができたことについて。
そもそも友達が少ない。知り合いも少ない。交流も少ない私だ。
更に、何か月前から〇月〇日に会おうという約束がちょっぴり苦手で、突発的に明日会おう!とかの方が好き。なんなら、今日暇じゃない?ちょっと出てこれない?でも全然気にならないタイプ。その人と居ても苦にならず、予定や自分の時間に空きがある時は喜んで出向く。(そんな風に誘う誘われる相手はあまりいないけれども)
その時はそんな気分でも時が近づくにつれてなんだか乗り気じゃなくなったり面倒になってしまう時があるのだ。気分屋なのだろうか。
そんな私が、人と会う約束ができた。1か月後くらいに。先の予定を入れておくのは苦手なのになんだか今から楽しみ。だから朝も目覚めが良くなったのだろうか?だとしたら物凄く自分は単純な奴だなと思う。
何か月ぶりだからだろうか。かれこれ5か月くらい、心地よく過ごせる人と会っていないことに気が付いた。(ちょっとそれも恐ろしい話)
以前なら目の前で帰ってしまっていた扉を割と開けていることについて。
ここで紹介しているお店や、カフェやbarによく出向く。その時、中が見えずに厚い扉の前にして怖気づいてしまう自分がいる。結局入らないことが多かった。
だけど最近、なんだか開けられるようになってきた。その繰り返しが自信にもなる(なんのかは分からないが)。
多分、自分がどう思われようがいいやって思えるようになった。お店に不釣り合いだとか、1人でこういうお店に入るなんてとか思われているかもしれないと思うとなんだか入りにくい。けど、別にいいやって。そんな勝手な想像で(本当に思われているかもしれないけど)自分の行動を制限してしまうなんて勿体ないと前より強く思うようになった。
もしかしたら、思いがけないものや人や空間との出会いがあるかもしれないのに、それを見もしないで帰るのは勿体ない。もしそこに入って居づらかったりしたら早く退散すればいいし、ここは自分に合わないと分かっただけでも収穫だ。
とはいっても、お酒は好きだが、まだ本格的なbarに1人ではいけない。やっぱり敷居が高い。Café&barとなっているところが今の私では限界。
浮き沈みはやっぱりあるし、模索中なところ、気持ちを持て余しているところ…まだまだたくさんあるけれども全体的になんだかいい感じ。
だけど、その分ちょっぴり怖いなぁと思う。
こういう気持ちの次は何が来るか知っている。こういう気持ちがずっと続くわけはないことも知っている。
ずーっとずーっと結構しんどかったのが続いて(2017年は丸々くらい)、今が良い感じだとしたら、また次の波がすぐにやってくるのだろう。
それが明日かもしれないし、何か月後かもしれない。考えたら気が重たくなる。
でもまぁ、「まだ起こってもない未来に怯えていたってしょうがないさ」だ。(グッドモーニングアメリカ/何とかなるでしょう)
しんどい時もちょっと楽になった時もずっとその時の気持ちと進撃に向き合って過ごしてきた。
これからも私はきっとそうあり続けることしかできないのだろう。