ordinary day

思ったことを気ままに。自分を構成するものとは。他者とは。旅や自然。

習慣とか慣れとか情とか

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1月も半分が過ぎようとしている。
日も少しずつ長くなってきている。それが少し嬉しい今日この頃。



やっと。もう少しで終わる。
12月は慣れない派遣先とバイト先で休みなく働いて体よりも心がずたぼろだった。
そして1月末でこの派遣先とはおさらば。

それでもなんか終わりまでが長い。先月は週4で入ってて今月は週3にしてるにも関わらず長い。

ふと今朝、その派遣先に向かいながら先月と気持ちの持ちようが変わったこともある。けど変わらないこともあると考えていた。




変わらないこと。

1時間の通勤時間は長い。
その気持ちは変わらない。大してやりたいことをしに行くでもないのにそこへ1時間をかけるのは、いくら電車でぼーっとしておくのが苦にならなくとも無駄だと思うのは変わりない。


やっている仕事から自分がそこにいる意味が見出だせない。
自分じゃなくても大丈夫。(大抵の仕事がそうなのだが)そんな機械的な仕事がやっぱり楽しくない。




変わったこと。

嫌で嫌で嫌な満員電車。
電車が来て人を詰め込み行けども列が次々できる。それがなんとも言えない気持ちになり、すごく気持ち悪かったのだ。なんでこれに乗り込んでまで行かなきゃならないのか。涙が出るほど嫌だった。
かなり精神的にきていたのだろうなぁ。今は客観的にそう思えるくらいの余裕はある。
今は少し慣れてしまった。
自分がどうやったらまだ楽に電車に乗れるかもコツをつかんだ。何時の電車にのって、どこに並んだらよいかを習慣で学んだ。
そして、回りの光景をできるだけ見ないことにした。


仕事の順序や組み立ては未だに分からないけど、いつもやる作業の流れはだいぶ分かってきた。
時間が解決してくれることもあるというが、これは本当に、何をするってなれば、何を準備してどう動いたら良いかはさすがに分かるようになった。


人付き合いは諦めた
どうせもうすぐやめるから、別に良い。相変わらず仕事の時の業務連絡以外で喋る人なんていないけど、別に良いや。
仕事を教えてくれない訳じゃないし、むしろ仕事はちゃんと親切に教えてくれる人が多い。それはありがたいことだ。悪魔でも仕事をしに来てるから。そこは感謝できるようにもなった。
ふとたまに、何気なく話しかけてくれる人もいる。そういう人は私の心をすっと軽くしてくれている。
これもそんな風に到底見えないだろうけれど感謝している。



多分、大体のことを諦めたのだ。ここの仕事もいらない、ここでの人付き合いもいらない…あと少しの辛抱って。
それか、習慣や慣れが、心を麻痺させた。そうだとしたら怖い。自分の心によくない習慣は作らない方が絶対に良い。
だけど、どちらかというと今回は前者だ。

そしたら凄く楽になった。嫌なのは変わらない。なんだか無駄な時間を過ごしてる気にしかならないのも変わらない。だけど、それが分かることが出来た2ヶ月間になるのだと思う。


こんな風に私はすっっっごい嫌なことでも、逃げ出したい、行きたくないことでも、何とか折り合いをつけて、その環境、その場所に順応することができる。
昔からそうだった。最初は好きに慣れない場所でも、自分を殺して(というか自分を出してなんかやるもんかとも思っているのかも)、これは仕事だ、自分で選んだからこの期間だけは、付かず離れず、決して好かれず嫌われず、当たり障りのない姿でやり過ごす。



とはいえ、業務を教えてくれた人、声をかけてくれた人、いつものメンバーに微かな情も芽生えていることに気付く。
嫌々と言いつつも…
結局私もなかなか人間臭いなぁ。面倒くさい奴だなぁと思う。
習慣や慣れや情が生まれるのはなぜだか少し怖いとも思う。
その怖さはなにかというと、習慣や慣れが自分をダメにしていく、情が判断を鈍らせる(かもしれない)というものから来ているような気がしている。

でもきっと今は大丈夫。
自分でやるって決めて始めて、自分でやめるって決めてやめるから。