話に、会話にオチって必要なのだろうか。
ネタにはオチは必要だろうが、日常会話やコミュニケーションを取るのにオチは別に必要ないと思う。
はたまた関西人は違うのだろうか。そういう所に厳しいのだろうか?笑
私の話には大抵オチが無いと思う。
思い返すと「〇〇なんですよー。」(・・・だから??)となる話しばかりしているかもしれない。
だけど実はそこには話したいことがたくさん含まれていて、返ってきた言葉によってどう繋げようかという所でもある。
例えば…
「最近首や肩が凄く凝って頭が痛くて目にもきてるんですよ」
(ずーっと同じ姿勢で作業してるからだめなんですかね)
(この仕事ずっとしてて〇〇さんはそんなことないですか?)
(整体行こうと思うんですけどどこかいい所ないですかね)
(CMでしてるやつ飲んだらきくんですかね)
その他まだまだ話を広げていける。
思っているだけじゃ伝わらないし、自分の思いを汲み取ってくれるわけはないので、だったら最後まで言い切れよって思われるかもしれない。
だけどそこは相手の反応次第で、相手が食いついたり良い反応してくれたらもっと話そうという気になるけど、「へぇ」とか「そうなんだ」とかだとこれ以上話さない方がいいかなってなる。そうしていると、たまに言いたいことまで行き着かないことも多いのだけれども…
逆に相手に委ねているところもある。ぽーんと自分から何か発言して、相手が続けてくれて、話にどんどん乗っていく感じ。
そもそも本来、会話ってこういうことなのでは…?オチって必要…?
オチがなくてつまらない、オチが必要と言う人は、話を聞く力やその人自身への興味がないだけなのでは?
他愛のない話なんてオチとかなにも考えずに流れで楽しんでいけるものではないのか。
私がなにか言われたわけじゃなくて、ある人と話した時に、
「こんなこと言われても…って感じですよね」
「……というオチも何もない話ですけど」
「自分、話にオチがないんですよね」
って言われたことがある。
別にそんなこと全然思わないのに、それなら私も一緒だ。って思った。逆にそこから広がる会話が楽しいのではないかなとも思う。
結局の所、私的にはオチは無くてもあってもどっちでもいい。だけど、いつもある必要は決してないと思う。そんなことに気兼ねするくらいならむしろ無くて良い。
適当に、真剣に、会話を楽しみたいと思っている。