人と会ったとき、1日の何時間かをその人と過ごしたときに、別れた後の気持ちがその時間がどうだったかを物語っていると思う。
一緒に居る時ももちろん大事なのだけれども、その人が自分の中に残していく余韻とでもいうのだろうか。満ち足りたような幸福感、ふわ~とするような安心感と、すっきり目がさえるような喜びと、何かに向かっていきたくなるような前向きさと、少しの寂しさと…
別れた後にそういうものに支配された時、「あぁ、良い時間を過ごしたんだなぁ」と自覚する。
そういう人と過ごす時間は自分にとっていいものとなる。有意義でかなりのプラス要素となる。また時間を作って会いたいと思うし、なにより、この時間を今日私に与えてくれたことに感謝でしかない。
別れた瞬間から少しの間は、その気持ちを味わうことでいっぱい。だけど家に着くころになると、印象に残ったその人から受けた言葉とか私には無い思想とか私には到底できもしない行動が浮かんできて、自分の中に積もっていくような感覚だ。
一緒に居る人や周りの人の思考は、それがよっぽど自分に反するものでいなければ、その人のほんの一部なのだが私の中に存在をし始める。
それってやはりとても重要なことで、だったら自分が思いもしなかったこと、自分にはないはっとさせられるようなこと、思わず動き出したくなるようなことであって欲しい。
言い方は悪いが、そういう人を計算して身近に置いておくなんてことはないけれども、気付いたら自分の感覚で取捨選択しているのだろう。
と、同時に相手もそういう気持ちで今日その日を終えてくれたのかと考えてしまうけど、最近はそれほど考えないようにもなってきた。
だって、考えても分からないことだ。別れた後の相手の気持ちなど、どうやっても分かることができない。いくら、お礼のlineが届いたからといっても社交辞令というものがこの世の中にはあり得る。
自分本位な考え方だけど、自分がこれほど満足して幸福感に満ち溢れているならそれでいいや。相手もきっとそうだったんじゃないかな。そうであってくれたらいいな。で終わることにできるようになってきた。