ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

空間の維持と崩壊

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カフェに行くのが好きで、雰囲気のいいカフェ、居心地のいいカフェ、スタッフさんが素敵なカフェに出会うととても嬉しい。


出来ればお客さんが少な目で、一人でも落ち着けて、時間がゆっくり流れているようなそんな場所。
jazzのようなサウンドが流れていて、美味しい料理を食べる私と、ジューという料理を作る音、コーヒー豆を挽く音、食器を洗う音、香り。言葉はなくとも、全身でそれらを共有しているような心地よい空間。
最近、カフェという外食だろうが、誰かが作ったご飯を食べるととてつもなく嬉しいのだ。それがお店の人と距離が近いほど強く感じる。1人で(おいしい、おいしいよー。私、今幸せだよー。)と食べている。
それが誰が食べてもそう思うのか、空間すべてがそう思わせているのか分からない。カフェとは料理だけではなくて五感を使って楽しむ場だと思う。むしろ、カフェという空間では料理はさほど大切ではないのかもしれないと最近はよく思う。


そういう自分好みのお店には出来るだけ流行ってほしくない。なんてことを思ってしまう。応援したいし、お店的には繁盛しなきゃならないのだろうけど、それによってその空間が崩れてしまうのが怖い。お気に入りの場所が何者かによって崩される感覚。
ある人が、「前すごく好きだったお店が流行りだしたのか、メニューに縛りが出てきたり、店内でゆっくりすることができずにすぐに出なきゃいけない感じで残念だった。多分もう行かない。」と言っていた。そうかぁ。その空間が好きで行ってたんだもんなぁ。そりゃそうだよなぁ。と思った。

お店側としては何を大事にするかって難しいとこでもあるんじゃないかなぁとも思う。
人気が出てきて新しい客が増える。そしたら当然今までのお店の雰囲気とは変わるだろう。今までのお客が、それに違和感を感じ、離れていく。
どうにか従来通りのやりかたで、常連も新規もうまく融合させるって出来ないのかなぁ。
経験も知識もない私がどうこういっても分からないのだけれども…
お店のこだわりと、需要と(しかも常連と新規の両方の)。その辺をどうやって線引きをしていくのだろうか?
カフェの一利用者として(ん~?)と考えるのでした。