ordinary day

思ったことを気ままに。自分を構成するものとは。他者とは。旅や自然。

経験は誰にも奪うことのできない自身のもの

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やってきたこと

外遊び、森の中で遊ぶ、どじょうすくい、川遊び、牛のお世話、お菓子作り、家で家族との共同の空間での作業・仕事、台所でのお手伝い、パソコン、音楽、ギター、歌、ピアノ、バレー、吹奏楽、生徒会、ライブ、旅、ハイキング、読書、調理、カメラ、カフェやバー巡り、人との会話…

 

全て全て何かしら自分を形作る要素になっているのだと思う。

別になにか1つをとことん極めてるわけじゃないし、賞をとったとかもないし、気が向いたらする程度のこと、よく知らないまま今はもうやっていないこと、離れてしまっているものも多い。

だけど自分が気付かないところで役立っていることも多分たくさんある。というか気付いていることの方が少ないのかな。

 

経験ってその人にしかない、とても貴重なものだ。たとえ、違う人が同じことをしたとしても、その人の吸収力や捉え方でも全く違う経験になるのだろう。何が何にどう影響しているかはわかるはずもないけど、私は私にしかない経験しか持っていない。あの人も、あの人も、みんなそうだ。覗くことも聞くことも見ることも奪うことも貰うこともできない。その人にしかないもの。言語化できても、その経験がぽんと私の中に入ってくるわけじゃない。過ぎてしまうと幻みたいなものだ。

それでも、言語化された人の経験を聞くのは面白い。私のみたこともないものに心が動いたその人の気持ち、語る表情。知らないこと、知らない世界の入り口をほんの少しでも見せて貰えた気分になる。

 

わからないけど、色んなことをしてきてよかったなぁと今日ふと思った。幼い頃に関しては、そういう環境に居れてよかったなぁとも思う。(まだまだ経験不足だけど)物心ついてからも自分の気持ちに割と従って生きてこれてよかった。

「やらずに後悔するくらいなら、やって後悔しよう」と言った人がいた。忘れられない自分の中に残った言葉の1つで、ことあるごとに思い出す。やって後悔することは滅多にない。そもそも後悔とはなんか違う。やらないからこそ後悔する。

相変わらず今はなんだか、これ!っていうはっきりと決めた方向がなくて、気持ちは外に向かってるけど、でもどこへ?漠然としていて目的地がない。多分、自分を突き動かすほどの「ここ」と集中した気持ちがない。いろんな方へ分散している。

「何事も経験」という軽い気持ちでいいから、別に何も背負わなくていいから、色んなことへ向かいたい。1つに絞らなくていい。そんな自分を認めてあげる。流れに身を任せてもいい。だけど人に惑わされすぎて制限かけないでいたい。少しでも浮かび上がってきた気持ちには従って動いてあげる。経験は何かしらになるはずだから。