ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

やっぱり苦手なこと。

私の苦手なこと。
3人以上での会話。
職場の人や目上の人との飲み会。


面と向かって、2人での会話は好き。その人のことを知れるし自分の発するタイミングがわかる。
3人以上での会話は、自分の発するタイミングが分からない。人と重ならないように気を付けてたら、話がどんどん進んでいき、その言葉を発するタイミングが過ぎていく。
皆で話せる話題って何だろう?何を話したらいいのか分からない。難しく考えすぎなのかもしれないけど…
あと、自分に視線が集中してみんなが聞いてくれる姿勢をみせてくれるとき(the私が話すときみたいな感じ)、しどろもどろになる。ろくに面白い話もできないし、視線が集まると「うっ」ってなって普段から話下手なのに、更にだめになる。
あと、2人でも会話は成り立つので、私はいなくてもいいかなぁなんて思って相槌を打つのさえ「一抜けた~」って放棄して心がどこかにいってしまう。それでも頑張って相槌をうって笑うことはしてみるのだけれども…居るのに居ない存在として化してしまう。
自分の興味ある話題さえも、あっちで話してるみたいな感覚でそこにいる。




職場の人や目上の人との飲み会は、気を遣うけどきちんと気を遣えない、気が利く行動がでなきない、そんな自分に嫌悪感を抱く。だからしんどい。心から楽しめない。
座る位置、その人が手をつけるまで料理に手をつけない、食べる飲むの速度、最後の一個の遠慮の固まり、飲み物が空になったら注文を聞いて注文をする、お会計のときはは上の人をたてるように振る舞う(払ってもらい、後でいくらかきいて払うそぶりをみせるが、いいよーと言われ財布をおさめてご馳走さまですという流れ)
そういうのが苦手で、心の隅の方でほんの少し面倒だと感じている自分がいる。
すごーく気を遣うけど、気の利いた行動はできなくて、その気を遣うやりにくい空気だけがそこにある感じ。


職場の人との飲みは、職場を出た時点で仕事着を脱ぐようにプライベートのその人になるみたいな感覚で、何も変わらないはずなのに、私は普段この人と何の話をして一緒の空間で過ごしてたっけという感覚に陥る。職場でも世間話をしているのになんだかやりにくい。
本当に普段からなんにも問題なく楽しく話ながら仕事をしていたとしても。
お酒を飲んだからといって、私は饒舌になるどころか益々ぼーっとしてきて眠たくなる。かといって顔に全然でないタイプなのでそれさえも分かりにくい。お酒を飲むと益々ただのつまんない奴化すると言うべきか。
やっぱり仕事上での人間関係とプライベートの人間関係は一線引いているのに変わりない自分。


そんなこんなで1人になった帰路から既に、脳内での反省会が行われて更にどっと疲れるのだ。


これだからゆとりはとかって言われるのかな。だけどそんな風にひとくくりにして見ないでほしい。これは私個人の問題。時代性もそりゃ大いに関係しているとは思うけど。

この苦手とはこれからも末永く付き合って行くことになりそう。