ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

私のなかの彼女 角田光代

この本を読むのは2回目だ。

人間という生々しい感じがそのまま言葉になっている。

何が本題とか、どういう物語かときかれたら、答えられない。私にはまだ言語化できない。この読み終えたあとの気持ち、なんといったらいいか分からない。

静かに、胸の奥でじーっとなにかが動いているような感じだ。そして少し苦しい。

 

本当に簡単に言うとするなら、1人の女性が「人」「ものごと」「言葉」に対して影響をうけて、もしくは翻弄されて自分を少しずつ確立させていく小説。

でもそんなに本当に簡単におさまることじゃなくて、もっと人間ぽくて、生々しくて、愛らしさ、憎らしさ、色んな関係の人との距離、自己との対話…そんな色々が描かれている。

 

 

 

「自分がほんとうには何を欲しがっていたのか、今、和歌にはわからなくなっている。そしてそんなことわからなくていっこうにかまわないと和歌は思うのだった。

 何が欲しいのか。何なら手に入るのか。それを手に入れるためには何を手放さねばならないのか。何なら手放せるのか。

 ずっと考えてきたような気がする。いや、とらわれてきた、といったほうがいいかもしれない。」

 

わかる。気がする。

といいつつそのあとでまた、

 

 

「もしかしたらこの先、二度と恋愛することはないかもしれないと向かいに座るかつての教師を見て和歌は思う。なんて歪んでいびつな人生だろうかと、我がことながら和歌は驚く。仙太郎が歪ませたのだし、みずからも歪むがままになったのだ。二十年前、ひとりの同級生を好きにならなければ、今いるところはもっと普通の場所だったはずだ。ふつうに誰かと恋愛をし、終焉を迎えて傷ついたとしても、また懲りずに恋愛をし、結婚を考え、子どもを持つか持たないか考えていただろう。けれど今や、だれかと親しくなることは、和歌にとっておそろしい以外のなにものでもなかった。どこへ連れていかれるかわからない。どんなふうに歪むかわからない。そんなふうにしか、人との関係を捉えることができない。」

 

ともある。

色んなとらわれから解放されたように見えたけど、やはりどこかでネガティブ。人のせいなのか、そもそも自分の生なのか、本当に歪んでいるのか。

なんとも人間らしいなぁと思う。

私は人間は矛盾する生き物だと思う。1人の単体が二極化する生き物だと。

歪んでいる。ように見えるけど、普通かもしれない。

主人公がいう「普通の場所」とは。主人公は、一人の男性との長い期間で自分がどこかに連れていかれたと、それが歪みの方向だととらえた。

 

 

私のなかの彼女 (新潮文庫)

私のなかの彼女 (新潮文庫)

 

  
 
主人公和歌は、十五年ほど同じ男性と付き合った末、その歳月の中で色んなことが変わり、別れがくる。その男性仙太郎は、学生で仕事をしている非凡な男性。無知な和歌はいろんなことを仙太郎に教えて貰う。就職した和歌がそのうち小説をかくようになる。親からの反対、仙太郎との静かな歪み、小説家志望だった祖母の存在、論文を褒めてくれた教授、働きだしてからの同期の存在、他の小説家の存在、不摂生な生活、出版社の担当、もっと奥へ行きたいと思わせた九龍城、身ごもった子供の死、恋心、崇拝、怒り、執着、妬み、憎しみ、未練…
「生」が描かれている。