ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

最近の行動や思いや考えをつらつらと言葉にしていいでしょうか。

今日は春。空気が生ぬるくて、花や草の匂いがどこからかする。歩いていると少し汗ばんでくる。

暖かくて気持ちがいいとも言えるが、少し体が火照るような気もして少し気持ちが悪い。寒さからの温度の変化に対応しきれていないのだろうか。

 

海辺で読書をしたり、作って持って行ったサンドイッチを食べたり、お腹いっぱいで日差しが当たる中で本を読んでいたらうとうとして少し居眠りをしたりして今日は1日が終わろうとしている。空が暗くなるのが随分と遅くなった。

こういう何にもしていないように感じる1日の過ごし方も必要だよなぁ。

時間が勿体ない。何かしなきゃと思うのだが、自分が何をしたいのかどこに行きたいのか最近わからない。何が足りないのだろう。

 

 

 

仕事のこと

やはり、決定権がないしどちらかというと小規模の自営業の所で働いているから、そこの方に全て決定権があり、私は従う立場。心からこのお店のこと考えることができない。それは前の所でも同じだった。どうせ私が意見しても、考えても…という感じで。徹底して従う側だ。それはそれでお店はその人のものなので当たり前だとも思うが、とにかく、やるべきことをこなしていく自分、なんだかなぁと思う。自分の思い通りにしたいとかではなくて、こんな風にしか取り組めない自分になんだか嫌気がさす。別に決定権がないからといって受けるばかりじゃなくてもいいはずなのだ。自分で勉強して、採用されなくたって発信することはできるし、それは無駄ではないはずだ。なのにそれをやろうと思わない自分に、やろうと気持ちが湧き出ない自分にがっかりする。

私は今年で24歳。社会に出て5年目になる。全て全て受け身ではなくて、発信していくこと、突き詰めていくこと、新しい展開に広げていく方が当たり前の年数ではないか。(年数には関係なく、やる人は初めからやっていると思うけど。)

なのに、なんなのだろう。何も広げない。私はこのまま、どこに向かうのだろうか。

本でも見たし、人からも言われた言葉。「一流、二流、三流、四流。あなたはどれとして生きていきますか?どこを目指しますか?」私はその道のプロになりたい!と思っていた時期もあったが、その熱い思いが今は薄れている。いや、そうそうに諦めたのか?なんだかよくわからない。ただ〇流とひとくくりにするのもどうかと思う。そりゃ、一流と呼ばれる何かを極めた人は努力や覚悟を人並み以上にしてそれをひたすら継続しているのだろう。でもそんなの誰が何の権利で決めるのだろうか。その質問自体に少し疑問を感じる。どうしてもそう分類をしなければならないのですか?と。

とりあえず、目の前に大きなことが差し迫っているのだけど、なんだか他人事状態というか、その日に向けて計画通りに進んでいるように見えるけど、実はかなり時間が足りてない状態だと思う。それを冷静に客観視しているけど、言うことも提案することも人を動かす力なんてないのだ。自分は無力だ。と落ち込んでいるのかもしれない。

 

自分のこと

最近は少し1人になりたい。でも人と話したいのだが、どうでもいい世間話はあまりできない。先月の私と比べると人が変わったように思えるかもしれない。今私が口を開けば、内省してしまっている内容についてきっと暗い・重たいといわれる内容になってしまうだろう。どこかに吐き出したいし、人の意見を聞きたいけど、それができない。できるような相手はいないし、多分あまりそれをするべきではないのだろう。その人の物語も聞きたい。上司、先輩、同期、後輩、母、父、祖父母、友達…そんな肩書きが1人の人間にいくつも当てはまる。だけどその前に、その人は1人の人。自身が歩んできた物語、生活がそれぞれある。それを全て知ることはできないけど、少しくらいしっていてもいいんじゃないかなぁと思う。母がまだ母ではなかった頃のこと。遠くに引っ越した友達の日常。が、それを知る術もなかなかないなぁと思う。

料理もあまり作らなくなってしまった。

買ったDVDを見ていない。

連絡しようと思っているが、メールを送ることができない。

かけなきゃいけない電話を先延ばしにしている。

家に居てもこれといってすることがないけど、外に行ってもこれといった目的がない。私、何のために生きているのだろう。自分を喜ばすことってなんだったっけ。漠然と思うことがある。別に辛い訳じゃないけど、これといった光も今はちょっと見えない。空っぽだ。

 

出来事から思ったこと。

事業主の家族が色々と物の移動をさせていた。事業主の了承ありならいいけれども、いくら家族でも了承なしならばそこの者ではない限り、仕事に勝手に踏み入るべきではないと思う。踏み入るならそれなりの覚悟と尊敬の心を持つべきだ。些細なことだけど使い勝手がいいがためにそこに置いてあったのかもしれない。その場の空間にはそこにいる人のなんらかの意志や理由があって作られているのだ。それを聞かずして、勝手に壊してしまうのはいくら家族でも駄目だと思う。

 

パン屋さんで店員がレジをしている隙に試食の中の全てを手づかみで持っていき、店の前で食べていた人がいた。そんな出来事に遭遇。私はなんとも言えない気持ちになった。その人は言ったら悪いけど、小汚い格好でもしかしたら帰る家もないのかもしれない。わからないけど。だけど、そんなことをすると言えばそういう人である可能性が高い。レジを終えた店員同士がこそっと「まただわ。この前は試食を引き上げて回避したのに今回はやられた」と話をしていた。店公認の常習犯らしい。いくら試食だろうとお店側が許せる行為ではない。かといって、その人もそれをするにはきちんとした(?)理由がある。それを黙って見ている私。なんともやるせない。

 

行ったお店の対応が不親切(な気がして)で、あまり表に出さないようにはしていたが、頭にきてあまりよくない態度をとってすぐ店をでてしまった。これじゃぁただの八つ当たりだ。と自己嫌悪して気持ちが沈んだこと。

 

ちょっとした嘘をついてしまったこと。最近、物事にたいして不誠実な気がしていること。

 

 

3月はあまりよくないスタートを切っております。

だけどこういうことって誰にでもある。みんな普通の顔してそこらへん普通に歩いてるけど、みんな何かをもって時には戦って時には消化不良の気持ちを抱えたまま過ごしている。それは忘れないでおきたい。私だけじゃないんだって。みんながんばってるって。みんなそれぞれの物語を見えなくとももっているんだって。

季節の変わり目、皆さん体調にお気をつけて。