ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

環境を変えたら接する人ももちろん変わる。

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雨が降って、雨が降って、の3日目。

朝晴れていたと思ってるんるんで外にでたら、またもくもくと雲がやってきて、雨が降って、そしてまた晴れてきて東の空に虹がかかった。

 

 

色んな人と接するなかで、人の良さ、自分にないもの、相性、接しにくさ、気の合う人…
たくさんのことを感じる。
私にないものばかり目についている。けど私は潔いと言ってしまっていいのか諦めることもすぐにできる。
あの人にあるもの、私もああなりたいけどなれないことを知っているから、違うから仕方ない。私は私のできることをやるしかない。と切り替える。

だけどたまに、この人私に似てるなと感じる人がいる。仕事の仕方とか。そういう人がいたら、私の存在意味は・・?となる。私にできることはあの人もできる。でもあの人にあるものは私にはない。となれば私はここには必要ないじゃないかと思う。だけど私は必死に居場所を守ろうとする。それはそれでなんだかみっともないなと思う。それなら私は好きにしようと思う。別にいいや。私のやりたいようにしよう。いつここから離れても誰にも関係ないことだ。嫌われたって変に思われたっていいや。そう思いつつ、無難に過ごす。

 

人とは、たまに会って話すくらいが丁度いいなと感じる。だからかな。職場で毎日同じメンバー会うこと、確かにそこにいくのは人に会うためじゃなくて仕事をするためにいっているのだけれども、何かが足りない気がする。週のほとんどを職場の人と家の1人の時間だけで終わってなんだかなぁと感じる。

休日の前の夜や休日にいく、焼き鳥屋さんの店主との会話。カフェのお店の人との会話。お店で製品の説明を聞くための会話。公園ですれ違う手を繋いだおばあさんと女の子と交わす挨拶。普段接しない人と、少しの会話であってもなんだか新鮮でいいなぁと思う。とても温かい気持ちを貰える。もちろん、友達とたまに会って話すのもいい。

 

そんな中でもまた会いたいと願わずにはいられない人がいる。それは会える確約がないから。本当はみんなみんな確約なんてないのに。声をかければ、お店に行けばいつでもその人にその空間に会えるなんて思ってしまう。そして意外にも、願わずにいられない人に会えたとき、あれ?あんなに会いたかったのにこんなものかと思うときもある。

 

結局「人」なのだと思う。あまり美味しいとは思えないお店でも、店主と楽しく会話ができれば、お酒をもう一杯頼んでもう少しいようと思う。聞きやすくて分かりやすくていい感じの説明をしてくれる店員さんにならもっと説明を聞いて商品を買おうと思う。素敵な空間で長居させてもらった上に心地よくいい笑顔で接してくれる店員さんとはレジの時に少し話をしてみようかなと思う。 この人こんな生き方しているんだ、私も頑張ろうと思う。

色んな人がいる。それも、人はその時によって余裕があったりなかったりで同じ人でも全く違う人に思える時もある。

多くの人とわいわいするのは苦手だけど、友達も多くないけど、ましてや知り合いさえ少ないけど、心を開ける人も自然と選んでしまうけれども…そんな感じの人との接し方、接する中で感じることがたくさんあって、接しているときにさえ自分で客観的にその人とどう接しているか自分の様子を眺めていたり、この人はこんな人なんだと考えている。それが良いのか悪いのか、考えすぎなのかとも思うけど、そうやって色んな人と接して考えて少しずつ変わったり成長していったりしているのかもしれない。