春がきて、暖かくなって、桜が咲いて、春休みで、みんななんだか浮かれている。
多分わたしも。
出会いと別れの季節ともいうけれども、今の私にはあまり関係のないこと。
ただただ、外に出ていける季節がやってきたなぁと嬉しい。
やっぱり浮かれている。
そんな私は少し皆とは距離が違って、ちょっと遠慮されるタイプ。
それを最近また感じることが多くて少し落ち込む。しょうがないのだけれどもやっぱり落ち込む。
確かに皆とわいわいするのがそんなに得意ではないから良いのだけれども、なんで私はいっつもそうなんだろうとも思う。少しだけ寂しい。
普通に問題なく楽しく喋れるんだけど、やっぱりなんか違う。
寄せ付けないというか、遠慮されるというかなんと言うか…
集まりがあるとそれが終わったあとに、何か自分から吸いとられたようにどっと疲れる。
そういうことがあると1人の時間がとても大切になってくる。
誰かと話したいんだけど、1人になりたい。
誰かと居たいんだけど、なんにも話したくない。
新しい人繋がりたいけど、自分のことを話すのが億劫。気丈に振舞うのはしんどい。
私が私でいられる場所ってどこだろう。私ってどれだろう。
昔から、両極端に分かれる。
冗談が言い合えて変な話もできる人がいる傍ら、絶対に冗談なんか言えない話すのに変な緊張感がある会話が困難な相手。
人は鏡っていうけど、自分が接するように人が接してくるときもあれば、人が接するように自分が接するときもある。その違いってなんだろう?私の場合、人が接するように自分が接する相手と馬が合う気がする。
どちらか一方が自己開示できたなら、つられて片方もする確率は高いんだろうな。変な緊張感がある相手は、相手も私も自己開示できない関係なんだろうな。
そんな私でもお互い気楽に喋れる人がいるから、その人たちとはすごい巡り合わせだと感謝するし、とても大切だ。
最近は色んな事に対して腰が重い。
やりたいことなはずなのに、向かえない。動いてしまえばいいのに動けない。誰かに手を引かれてようやく一歩踏み出せる感じがする。
勉強だってしてない。机に向かうことだけが勉強だとは思っていないけれど、趣味に対して、社会に対してさえ深めようと思えない。
聞いている音楽は昔の音楽ばかりで、新曲の情報を最近追えなくなった。
体が痛い(実際本当に体自体が重い。笑)のに、ストレッチとか運動とか自分で何とかする気にもなれない。マッサージに行くのがやっと。
何かをする手段が分からないとき、分からないまま後回しにしてしまう。
誰かに誘われて行きたいやりたいのに、現実的にでも実際どうやって?と考えてそれを相手に言って、「行きたいけど…」とは相手に言ってしまう。第一声を「行きたい!」と言って、現実的に難しいことは一緒に考えればいいのに、理由をつけて断っているように思われる行動をしているなぁと思う。
本当はそうしたいんじゃないのに。思い切ってぶつかっていきたいし、飛び出していきたいのに。
「こころ」と「あたま」が忙しなくちぐはぐに動いている。