誰かが、理不尽なような会社のルールでいろいろあって仕事を辞めた。
私は、その人にこれでめっきり会わなくなると思うと寂しいけど、その人にもこの職場にも新しい風が吹くと思った。
誰かが、別の仕事に重点を置くから仕事を辞めた。
私は、その人はそこを選んだんだ。これもまた、新しいスタートだと思った。
私はそれらを見ていた。ただの傍観者だった。関係あるようで関係のない私の入ることができない世界は着々と景色が変わっているようだった。不思議な気持ちだった。
ずっと欲しかったリュックが手に入った。
ネットでみてあれでもない、これでもない。もう目が疲れたからネットは諦めて、街に足を運んだ。
何件かみたけど、そこでもやっぱりなくて、一応ここも見ておこうかと最後に入ったお店で出会った。
これもまた店員さんに声を掛けられなかったらきっと買ってない。今まで黒だったからやっぱり黒が欲しかった。でもそこに黒はなかった。商品的には黒があったから取り寄せてもらうことにした。
普段使いができて、収納がたくさんありしっかり入って、軽い、丈夫、背負い心地がいい、ちょっとした旅にも十分に使える、そんなのを探していた。
鞄にこの値段を使ったのは初めてで、服1着にさえこんなに出したことはないかもしれない。だけど値段なんていいやって。そういうものに出会えたことが嬉しい。私にまだそういう心があったことが嬉しい。そう、本当に久々に自分がこれ「が」欲しいってものに出会えた気がする。これ「で」いいではなくて。そしてリュックはかっこいい。嬉しいことだらけだ。
私は人によって態度が全然違うなと思う。この人には何かある!(それは別に地位とか世間体とかお金とかそういうのではなくて)私の心に通じる言葉とか経験とか。そういう人のことはもっと知りたいと思うし、どんどん話をしようと思う。けど、それを感じられない人には(私にとってつまらない人)、まったく自分からは話しかけようとしないし傍からみたら物凄く温度差があると思う。
それをよくわからないけど、もう一人の自分が見てて、それは良くないことだという。
そして私は、でも皆に平等に接することなんてできるわけがない。みんなそうでしょ?っていう。
いつもの安心できる知っているお店に行きたいけど、同じところばかりだとつまらない。知らないお店にも行ってみたい。だけど、しらないお店で居心地悪いとしんどいなぁ。
知っている人に依存はしたくない。新しい人と話したい。だけど、やっぱり新しい人と話すのはしんどい。新たに関係を築くなはしんどい。
やはり二極化。
こんな日々の人との出会い、別れ、ものとの出会いは、タイミング、運命ともいえると思う。
「運命」というものを感じながら生きている人はどれくらいいるのだろうか。
時に自分にはまだこんな事が待っていたのか、生きているとこんなことがあるものなのかと思い、時に諦めを思う。
ずっとずっと会いたかった人に会えた。
街で偶然、昔の友達と再会してそこから一気に距離が縮まった。
生きているとこんな素敵なことが起きるのかと思う。
今日はここのお店は休みだったから、私は今日ここに行くべきではなかったんだ。
今日電車が遅れて思い通りの時間に行動ができなかったのは、その電車に乗るべきではなかったから。気分が変わってここに来るためだったんだ。
あの子を誘ったけどあの子はその日は予定があるらしい。まだ会うべき時じゃないんだ。
誰かが離れていった。その人は私の人生に関わるべき人じゃなかったんだ。
全てがそう思えるときとそう思えないときもある。
特に人との繋がりに関しては、もっと話してみたかったとか喪失感でいっぱいになるときがある。
それでも、自分が自分がといって気持ちを渡すのも一つの手。そしてそれで弾かれたなら、もう本当に無理なのだ。
私はたまにわからなくなる。
運命とか言って、ただただ諦めているだけで、弾かれるのが怖いから何もしないのかもしれない。だけど、ちゃんとタイミングと運が、人と物、人と場所、人と人、気持ちと気持ちとの間ではきちんと存在することも知っている。
だから諦めないといけないこともある。
ある程度流れに沿って過ごしているけど、諦めきれないことも多々あって、どっちがいいのかわからなくてこっちだって胸を張って言えなくて、どっちつかずな日々を相変わらず過ごしている。