ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

結論付けるとき

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何事にも結論付けるのは自分自身だ。

だけど私は最近何事も結論付けることは無理だなと思う。下手したら一生無理な気がしている。

 

「ここに住んで良かったor最悪」「母と父の子供でよかったorじゃなければよかった」「この仕事につけてよかったorは最悪だ」「あなたと出会えて良かったor出会わなければよかった」

 

良いか悪いか。無意味か意味があったか。何の為だったか。

大体そんな風に物事を考える。

 

だけどそんなものは、時と場合と状況によって全く変わってくるはず。

「ここに住んでよかった」(今は)「母と父の子供でよかった」(今は)「この仕事につけてよかった」(今は)「あなたと出会えて良かった」(今は)

全てこれまでから今この瞬間までのお話。

これから先の未来でどっちに転ぶかわからないし、そんな単純に良かった悪かった出会わなければよかっただなんて一言で片付くようなものじゃない。きっと。

はたまた現時点では特に何の意味があったのかわからないこともあるし、それはこれからもそうであり続けるような気もしてる。

 

現時点で私は、~しなければよかった。って後悔してることは特にないし、あれは最悪だったってこともないし。日々にしんどいとかなんとなく苦しいとかはあるけれども。なんだかんだその時その時で満足はしていて、最悪に行く前に、変化を起こしているのかな。それが悪い意味付けで終わらないように。

変わらなければいいと思うこともあるけど、そんなものはきっと無い。

全て受け入れながら、自分のいいように解釈しながらいくしかないのだと思う。

 

今、私を取り巻くものたちに、良い・悪い・出会えて良かったって意味を付けるのは早い。怖い。終止符を打つようなものだと思う。

関係に終わりが来たとき、あの人と出会えて良かった。出会わなければよかった。となる。結果を出すのは常に終わりが来たときだと思う。

今、出会えて良かったって思う人たちが周りにいくらかいる。そう思える人たちがいてくれるこに感謝だし、そんなことを思うと心がほくほくする感覚。

だけどそれと同時に、この先関係が変わってその人たちとの間に何かが起こって、タイミングと心情の変化が起こって、「出会わなければよかった」「もう会いたくない」なんて思う日が来たら悲しいと考えてしまう。そんなものは受け入れたくないと思っている。そんな日が来るかもわからないし、自分が心からそんなことを思ってしまうかもしれないのに。

人との関係においてはいつもこう。素敵な人に出会えてよかったと思う。できることなら終わりが来てほしくないと願う。だけどそれと同時に終わりが来るかもしれないという切なさと怖さが付きまとう。

 

自分の人生においても「こうだった」って決めつけれる時がくるのは、人生が終わるその時だけだと思う。

その間に1つのことが色々な意味に変わって変わってこれからもいくのだろうなぁと思う。

たまに操り、たまに飲み込まれながら。

ゆらゆらと波の線を描くような。ぼんやりと焦点が合わない景色の中を歩くような。

怖さと一緒にまだまだ続いていくのだなぁ。