仕事が終わって休みにかけて、実家に帰る&蛍を見る&友達に会うつもりで家を出た。
今日は私のこの部屋には帰らないはずだった。
朝、地震が来た。幸い私のところは揺れだけで大きな被害はなかった。
自然の恐怖。人間の営みへの疑問。そこまでして電車を走らせなければならない理由は。こんな時にまで行かなくてはならない場所。何もなかったように起きる街。開くお店。生きるってなんだろう。
よくわからない重い気持ち。漠然としたたくさんの疑問。
電車が止まった。夕方には動くかと思ったけど、動かなかった。
私は実家には帰らなかった。それと同時に蛍をみることも友達に会うこともできなくなった。帰るつもりのない部屋に帰ってきた。
私の休みの予定が大きく変わった。
そして、今日はまたまた人との距離が大きく開いたと感じた日だった。
わからない。どこでそうなったのか。もしかして些細なことの積み重ねかな。
思い込みかもしれないけど、私はそういうのに鈍感ではないはず。わりと敏感。
最近、さっきまで普通に話してたのに、なんで?ってことが多い。
あの時の何を間違えた?って自分の行動や言動を考えることが多い。
私は、人って怖いと思った。もう誰も信じたくないと思った。誰も私の中に入れたくないと思った。できることなら一人で生きていきたいと思った。人との距離感がまたまたわからなくなった。人としばらく会いたくない。もう疲れちゃった。
乗るはずだった電車にも乗れず、徒歩で帰ることにした私。
チューハイとおつまみを買って海沿いに行く。
最近はこういうことばかりだ。気持ちが下降気味。どこまで下へ向かうと気が済むんだろう。まだまだ底ではないのだろうか?まだまだ下があるのだろうか?
なんだかもういいや。もうどうでもいいやって。
地震もなんだかんだ他人事みたいな自分。人との距離感を間違えたのか、自分を出しすぎたのか、節度を保てなかったのか。わからない自分。
本当の恐怖ってなんだろう。
自然も怖いし人も怖い。
自然も怖いとなると今の私に味方はない気がする。
薄く曇った空には夕陽が色をぼんやりと染めている。
隙間からはくっきりとした光が見える。
こんな今日も当たり前だけど私の好きな夕暮れは起こっていて、変わらずに綺麗と思えた。
もっと暗くなると空はグラデーションに変わり、星が隙間から見えている。
三日月も雲にかくれて光が輪つくっている。たまに流れる雲の隙間からくっきりと輪郭と光が見える。
こんな気持ちの今日も自然は素敵な空を見せてくれた。
だけどこれを分かちあう人はいない。やっぱり1人を思い知る。
安らぎと恐怖の隣りあわせも改めて思い知る。
いろんな気持ちが、思いが、出来事があって、素直に疲れた。疲れた。