ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

最近の私の誰にも言うことができない、気持ちをここに。

覚えている範囲で、その時々ですごくショックで傷ついた出来事がある。

それは私が生きていく中で一番の課題となる点に繋がるのだと思う。

 

その出来事の共通点は「私が信頼している人や居場所がそうではなかったと思い知らされる瞬間(実際にそうかそうでないかは別として、私の中でそうではなかったんだと思わなければならない出来事が起こる)」

ドクンと心臓が飛び跳ねる。それから、今さっきまで信じて疑わなかった存在が、そのそばにいると今度は鼓動が鳴りやまず、抑圧・恐怖・不信感におおわれる。常に緊張状態。何を信じたらいいかわからない。いままでどうやって接してたかもわからなくなる。周りの人もみんなおんなじに思えてしまう。どうせこの人だってと。一瞬にしてすべてが崩れ落ちる瞬間だ。

 

小学生のころ。

私はバレー部だった。ほかのバレー部員より私は入るのが遅かったけど、人数が少ない学校だったので、バレー部員みんなとは仲が良かった。練習試合のお昼の時間。みんなで昼食をとっていた。凄く楽しく話していた(と思う)。

話の流れで私がなにかおやじぎゃぐみたいなの言った後だったと思う。1人が私を見ながら隣の子に耳打ちしていた。

それを私はなになに?と聞いたんだったと思う。聞くほうもあれだけど、答えるほうもあれだ。「〇〇ちゃん(私の名前)って最近調子にのっとるよねって」とのことだった。

その瞬間私はどくんっとなった。目の前の景色が一変した。そのあとの試合がどうなったかは容易く想像できるだろう。

私は頭の中で、(あっそうなんだ。私が私のままでいることは許されないんだ。と思った。調子に乗ってるってじゃあもうちょっと静かにしとけとか?意味わからない。と同時に怖い、怖い、怖い。いつからそんなこと思われていたんだろう。怖い。ずっとそうだったなら仲良くなんてしてくれなくて良かったのに。人の言動や行動は信じられない。言った本人以外もそう思っているのかな。怖い。信じられない。)

その思いが支配して苦しんだ。

私はもう試合なんてどうでもよくて、なんとかなんとかコートの中でがんばった。試合でミスしたとき、どんまいといって手を合わせたりするのだけれども、その人がミスをして私はどうでもよかったけど、ただただ早く帰りたかったけど、手を合わせていつも以上に申し訳なさそうな「ごめん」をきいた。きっとさっきのことも含んでるんだろうなと思った。私は何も言わなかったけど。

その後どうやって日常に戻ったのか、覚えていないけどその子とはわだかまりは残らず同じ中学でもやっていった。高校は別になったから特に連絡をとりあってない。

 

中学のころ、

私は吹奏楽部だった。

ホールでする演奏会の練習の自由時間だったと思う。

「〇〇ちゃんって、よく言えばお天気屋で、悪く言えば自己中よね」

と言われた。

またまた心臓がどくんとした。そして景色が一変した。

その時、よくある学生時代の人間関係に気持ちが上がったり下がったりが多かったときだから、それが表に出てしまっていてそういわれたのはわかっていた。

けど私はその言ってきた子が自分としてはかなり心を開いている相手だったため、(あっそうか。私はこの子にこんな風に映っていたんだな。これが本当の私の姿で、これがそう捉えられてよく思われないのなら、これ以上私は受け入れていられない。私が私でいられないままの関係ってなんなんだろう。いつも元気ではいられないし、落ち込むときだってある。)と思い、それからどんな私でその子に接したらいいか分からなくなった。

今思えば、それをきちんと指摘してくれた相手だったのになんで私はマイナスな受け取り方しかできなかったのだろうとは思う。

その子とはそれが原因ではないけど、結局は中3になる頃には距離ができてしまった。

 

そして高校のころ、

どんな場面かよく覚えていないけど、「〇〇って、誰にでもいい顔するよね。そんなに男子にちやほやされたいん?」と言われてまた心臓がどくんとした。私はその子のこと正直そこまで好きじゃなかったのだけれども、ぐさっときた。多分そんなつもりはないけど、自分でも自分のことを誰にも悪口を言われない優等生的に思っていたのかもしれない。けどやっぱり、怖い怖い怖い。普段、何食わぬ顔で私に話しかけてる癖に、心ではそんなこと思ってたんだ。他にそんな風に思っている人がいるのだろうか。なんて思った。

その子はもうちょっとこちらからごめんなさいという感じだった。もうどんな風に接してきたとしても一定の距離を保って接しようと私は思った。そしてしばらく人間不信期間に陥った。

 

そして現在、信頼している人の態度が一変したように思う。相手の問題なのか私に問題があったのかわからない。何か言われたわけではない。でも態度が違う。どくんとした。でもわからない。わからないから原因なんてどうでもいい。私にはどうにもできない。

心臓をどくどく言わせながら、変に気を使いながら、たまに深くかかわらないようにしながら、なんとか一日が終わるのを待つだけだ。怖い。のと、抑圧と。私がこの人のためにならと思うことは今はほぼなくなってしまった。

どうするべきかもわからないけど、どうもしたくない。とにかく意欲がなくなった。どうでもいいや。私はここにずっとはいられないだろうなとも思ってしまった。

本当にそうだとしても、私の勘違いや思い込みだろうと、一度こう思ってしまったらなかなか心は戻ってはこれない。

 

 

私は嫌われるのが怖いというか、自分がある程度気持ちを持っている相手・距離が近い相手からの急激な態度の変わりよう、実はよく思われてなかったととれる発言の。それが怖い。その時だけの気持ちかもしれないし、いい意味での指摘かもしれないし、本当に私が相手になにかしたかもしれないし。

それまですぐそこにいた相手が、何光年も遠くにいってしまったような感覚。

隣にいたのに私と相手との間の地面にひびが入って崩れていく感覚。

すぐそうなる。

その人だけで、問題はその人と私、はたまた問題なんて誰にもないのかもしれないのに、あの人もなんじゃないかってすぐ人間不信に陥る。

 

それが私の一生をかけての課題だと思う。

『人を心から信じれないこと』

何かあるとすぐ距離をあけてしまう、人の言葉を表面的にしか受け取れない、かと思えば自分の言葉は本当なのに…と人の言葉を疑うくせして自分を信じてほしいと願う。

 

 

 

私が彼らを好きになった、きっかけになった曲。

これが最初って、私はきっと根本的に自分に足りないものを自分で気づいていたのかもしれない。

 

「僕は君を 信じたからもう裏切られることはない

だってもし裏切られても それが解らないから
どうか 君じゃなく ならないで」

 

「何光年も遙か彼方から やっと届いた飴玉だよ
そういう1ミリを繋いで 君と出会えた 僕がいるよ」

 

「聞けない事 言えない事 上手に話せなくて泣く
出ない言葉 強い気持ち 時間が足りないと言う

 

僕は 君と僕の事を ずっと思い出す事はない
だってさよならしないなら 思い出にならないから
さぁ ゆっくり下手な 話をしよう
言葉の要らない 話をしよう」

 

「僕は君を 信じたけど 君が消えたらどうしよう
考えると止まらないよ 何も解らなくなる

 

いつか君と 離れるなら いっそ忘れる事にしよう
出来るのかな 無理だろうな 離れたくないな

 

僕は 君と僕の事を ずっと思い出す事はない
だって忘れられないなら 思い出に出来ないから

 

ねぇ 怖いよ 止まらないよ 上手に話せやしないよ
君は僕を 信じてるの 離れたくないな

 

見えなければ 死ななければ だけどそんなの君じゃないよ
僕は嫌だよ 君がいいよ 離れたくないな

 

飴玉食べた 君が笑う」

 

BUMPOFCHICKEN/飴玉の唄

 

飴玉を渡した相手は、ここにいるけど実は何光年も遠くにいるのかもしれない。

「僕は君を信じたからもう裏切られることはないだってもし裏切られてもそれがわからないから」なんていえたらどれだけ楽だろうか。

だけど、この歌詞、冒頭でそういったもののきっと恐怖と戦ってることがうかがえる。

そりゃ私に響くはずだった。

私は今も、これから先も、きっと一生恐怖との戦い。

でもできるだけ、恐怖が恐怖をもってこないように、負が負を呼び寄せないように、できるだけ、少しずつ、前向きに、前向きにとはいかなくてもできれば気にしないようにがんばる。今までもなんとかはなってきたし。なんとか、がんばる。