眠れなかった。どきどきして眠れなかった。
綺麗な朝焼けを見ながらこれを書き始めた
この歳になってもまだこんなことがあるのだと思うと自分でも驚くくらい。
これは、非日常に対するどきどきだ。
このことについて少し考えてみる。
なんでどきどきしているかというと、友達が会いに来てくれるから。
そんなに長い間会ってないわけではない。この間あったのはいつだったっけと日記をみると3月だった。約半年ぶり。この間会った時が何年ぶりかだったからそっちの方が感動は大きいはずだけど、なんか今日の方がすごく胸が高鳴っている。
私は人を気軽に誘える時と誘えない時がある。
自分が弱っているときはもちろん臆病になる。ただ単にタイミングが合わなかっただけでも、(その人にとって私は時間を合わせようとしてまで会いたい存在ではないんだ)と。勝手に落ちていく。
さらにいつも私ばかり会いに行くと、私ばかり会いたいんだと少し悲しくなる。
いや、客観的にみたら、私が会いたくて会いに行って会ってくれて…それだけでいいはずなのに。
やっぱり見返りを求めている自分がいるんだと思う。相変わらずそこはかわらないな。私の変わりたいけど変われないところの1つ。
そして、自分からこっちに遊びに来てとはなかなか言えない。お金と時間をその人から奪ってしまうから。
今回なんだか嬉しいのは、いくつかある。
1つ、「私から友達に会いにこれない?ときけたこと。」
これは決して重い彼女から彼への言葉の話ではない。笑
ただ、今の私には友人という存在が必要だと無意識に判断していてこの行動になっているのだと思う。職場とも自分の日常とそれほど近くない心開ける友人にいろいろをぶちまけるということを欲している。いつもならなかなか自分から言えない。
多分これが「甘える」ということなのだと思う。私は生活の中で何気ない甘えるはできると思う。例えば姉に、ジュース取ってとか、歯ブラシ持ってきてとか。だけど、心理的に本当に甘えることは苦手だと思う。今の心の内を打ち明けるとか、昔からずっと考えていることについて誰かに話すとか。寂しい時にそばにいてほしいとか。私に限ったことじゃなくて多分みんなそうだと思うけど。
たまには甘えないと頼らないとだめ。という言葉は本当だと思う。
だけど、その境目がたまにわからなくなるのも本当。
自分をだめにする甘えと自分の為の甘え。その判断ができないから、甘えすぎたらだめだと思うから自分1人の殻にこもってしまう。
だから今回、自分なりのSOSを誰かに送れたこと自体が嬉しかった。
そしてもう1つ。
これは単純に、友人が仕事の休みを調整してくれて、お金と時間をかけて会いに来てくれるのが嬉しい。
これはいつも思う。私に会ってくれる人、時間を割いてくれる人、心から感謝している。それは本当。
でもその心があるからこそ、自分って人間って情けないなあというやりきれない思いが出てくるときがある。
いつもいつも感謝の気持ちではいられない。ここまで嬉しく思って、感謝できるのはいつも会っていない友人だからかもしれない。
例えばシェアハウスとかして、毎日同じように顔を合わせていたらここまで会うことに対してありがたみは感じられるだろうか?多分無理だ。ふとした瞬間にありがたみをかんじれるときはあるだろうけど、多分1人の時間を求めるようになるだろう。
と考えたら私のこの心は偽物なのか。とか、誰かが私の日常になることはできないのかな。という失望した気持ちになる。
近くにいすぎたら見えなくなるもの、気付けないことがあるとよくきくけど、ありきたりすぎるけど情けない程に本当なんだよなぁ。と思ったりしている。
嬉しさに戸惑ったり疑ったりする感情。
あっという間に太陽が昇った。
今日は気持ちいい1日になりそう。