ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

薄情 絲山秋子

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「薄情 作者 絲山秋子
地方で暮らす主人公の日常。地方ならではの暮らしや景色や人付き合いや考え方、人ととの関わり、起こる出来事とともに自分と向き合い続けている男の物語。



まず読み終えて第一声……重い。別に物語の内容自体がとても深刻で重いというわけではないのだけれども、精神的要素というか哲学的要素が満載ですごく胸に刺さってくる描写。すごく人間的。私がふだん考えているようなことを主人公が考えているので私的には結構ずしーっときた。

日常の出来事+主人公がその出来事に対して自分自身がどう感じているか
というのが常にセットになって描かれている。
でもこれこそが人間の日常と呼ぶのにぴったりなのかもしれない。
人の行動、自分の行動、自分の無意識の発言、ひとのちょっとした一言、身近な風景……
さまざまなことからその意味を見出だそうとする。何故を考える、予防線を張る、願望や欲望とごちゃまぜになる。


主人公には少し、諦めみたいなものも感じる。
『人間関係は掛け算だ。相手が3や5でも、自分が0を出せば結果は0だ。』『平生おれはこう思っている。ひとはあらわれては消える。ひとがずっといるものだとおれは考えない。そもそも、おれ自身がいないのだ。』と。
だけど『普段、心を強くしてくれるはずの孤立が俺を滅ぼそうとすることだってある。』『おれは人が好きなのだろうか。』『過去と未来を同じものにしていたのは自分だった。』『過去が過去になっていくのを感じた』
というところから、どこか信じたい自分、諦めきれない自分がいるのもなんとなく感じられる。

共感というか、私もこんな風に諦めたふりしてまだずっとなにかを探している。予防線を張って傷付かないようにしている。
物事と自分、人と自分の関わりに関して内省することが多いので、この主人公の日常が本の中だけの話には思えなかった。



『犬のかたちをした絶望がいた』
『今の君はその犬にちょっとだけ似ている』
とある登場人物が主人公に向けて言った。
犬が大好きな散歩に行くふりをして行かなかった。何度もリードを振って見せて、最後に自分だけ行った。その帰宅後、犬のかたちをした絶望がいた。ということだ。
なんという言葉だろうと思った。
どきりとした。胸が痛かった。


『子供が知りたいことを大人は知らない。子供のころ僕が何を知りたかったのか、大人になった僕は忘れてしまいました。何が好きだったのかは覚えています。断片的にね。でも何が知りたかったかは覚えていない。興味を持ったことから先に覚えて、その集積が今の僕なんですが、本人でさえその記憶を失っている。』『興味をもったらたくさんのものが見えてくる。失ってしまえば表面しか見えなくなります。だから今見えていないことを、子供のころの僕は見ていたかもしれません。』
主人公がある人に『子供の時見えていて今見えないものってなんなんですかね』と質問したさえの答え。
分かるようで分からない。
半分は分かる。でもまだぴったり、しっくりわからない。わたしはそれでいいとも思っている。今わからないことを無理矢理わかろうとする必要はない。そのときが来たら分かるようになる。そのときが来るか来ないかも含めて。


主人公のことを「彼」と記されたり「宇田川」(名字)と記されたりする。規則性があるのかと思いきやその辺は私には見抜けなかった。なにか意図があるのかな?

消えるもの、見えるもの、見えないもの、境界線。
個。はたまた孤独。

これを読んだからといって元気になるとか気持ちがほぐれるとかは正直全くない。
でも人間らしさで溢れていた。

薄情 (河出文庫)

薄情 (河出文庫)