ある人が言った。
「喧嘩っていいよなぁ。」
と。
私は同意することも否定することもできなかった。
そんな自分に戸惑いと悲しさが込み上げた。
喧嘩というものをしたことがないのかもしれない。
人と気まずくなったり、一方的に機嫌の悪さをぶつけられたり、距離をとったり…でもそれは喧嘩とは言わない。
その先が喧嘩なのだと思う。
私は人と気まずくなっても、なんか嫌だなと思っても、そのまま距離ができてしまって時間がたってよそよそしい仲になるか、どちらかが大人の対応をして何事もなかった様にそんなこと無かったかのように接するか、人からなにかしらぶつけられても私はそれを黙って聞いてその場を耐えしのぐか、私が距離を取るかしかしてこなかった。
自分の気持ちを言って、相手の気持ちを吐かせるという、人とぶつかるということをしてこなかった。
それはよく言えば平和主義で、争い事を嫌う私の性質。
これ以上言ったら喧嘩になるなってところでセーブする。話題を変える。じぶんが我慢すれば事がおさまると耐え凌ぐ。
だけどそれってなんだか寂しいな。
何年も付き合ってきた友人と呼んでいる人たちでさえそんなことしてこなかった。
家族ともぶつかることなんてない。
なんだかんだ上辺っ面の自分や相手しか知らないんじゃないかな。
真っ正面から、真に「人」と関わることが私には欠けている。
いつも人と一歩離れたところで付き合っている。
そうなんだろうなぁ。
やっぱりそれは少し寂しいことだと思う。少しどころか、めちゃくちゃ。
だかといって今までしてこなかったものを急にはできない。
これから先、喧嘩というものを私はできるのだろうか。人とぶつかる、意見を言い合う。言いたいことを吐いて、言いたいことを受ける。
それで相手の深い部分を知り、信頼が増す。
そんなことが私にできるのだろうか。
到底想像できない。
なんてことをその一言から考えてた。