今日もまた、写真に惹かれて入ったお店で失敗した。
「写真と違うじゃん!」と言いたくなる料理が出てきた。
飲食店ではそういうことがよくある。
写真って、本当に後からどうにでもできる。カメラの機能や性能自体素晴らしいから、ただ撮るだけでもきれいに撮れる。
写真はとっかかりにはとても使えるもの。
その写真をみておいしそうだと思ったからそのお店に入る人がいる。
その写真をみて美しい、自分も見てみたいと思ったからその場所に出向く人がいる。
でもそれは、本当にそうかは自分で確認するまでは分からないし、その写真が実物通りとなってないこともある。
景観となると、天気によったりその年によったり気温によったりで違いがあるのでそれは仕方ない部分もあると思う。
だけど、食べ物は、明らかに釣りだよね?みたいな感じに思う。ちょっと騙された気分になる。
写真が悪い訳じゃない。写真はいい仕事をしている。
なら問題は、作り手とかお店の方針かな。写真でお客さんを釣って、がっかりさせるか期待通りかはそっち側の問題。
そこで思考が広がる。写真を撮るってなんなんだろう。
またそんな思いが舞い戻ってきた。カメラを買ったときにも1度書いた。
あとでどうにでもできる写真。とった瞬間とは全く別のように仕上げることだってできる。
私はそれがちょっと気持ち悪い。いや、もちろん私だってそんな風にすることが多いのだけれども、なんか素直にできない。
嘘の記録みたいな。
そもそもコンセプトが違う。目的が。
そういうのは作品、クリエイティブ、創造の部分。私が大事にしてるのはきっと記録、その瞬間だったりする。そのものを残したいんだ。
そういうのを無視して綺麗に、かっこよく見せるに特化したものが苦手。
観光地とか有名な場所ではみんながカメラを構えてそれをとっている。
やっぱりちょっと気持ち悪い。なにがといわれると難しいけど。その場所では落ち着けない。
何をするにも情緒と切り離せない自分。そういうものが時々邪魔になっている気がする。
私、カメラ向いてないのかな。宝の持ち腐れ感が…
私みたいなのはスマホのカメラで十分なのかな。
でもやっぱり最初に書いたように、PRや宣伝のための写真は「魅せる」ことが大事なのはわかる。
だからそういうのを否定しているのではなくて、自分が撮るときにそれは気持ち悪い。
そして、いろんな写真を見たときに疑って入ってしまう。
これは全部作りものじゃないのかと。
本物を映さなきゃいけない決まりなんてないし偶然を映さなきゃいけない決まりもない。
疑ってかかるその自分が少し嫌なのかもしれない。
最近はちょっとそんな気分。