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思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

思考の生理学 / 外山 滋比古

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「思考の生理学 / 外山 滋比古」

1986年、初版。

考えることについて、時代を生きることについての論述。

 

 

この本を読もうと思ったのは、題名に呼びかけられたから。

これを読んで『思考の整理』がもしできるのであれば読まなければならないと直感的に。それくらい最近の私の頭の中はごちゃごちゃしていた。

この本の表紙は見覚えがある。前にも書店で見かけた。その時も目に付いて手に取ったのだけれども、買って読むには至らなかった。

きっと今がその時だったのだ。

 

この本を読んで、私の中に強く残ったキーワード

『捨てる』『忘却』『整理』『寝させる』

前の記事でも書いたのだけども。

 

ymcvsss.hatenablog.com

 

とにかく、頭の中がいっぱいだといい案も浮かんでこないということ。

どれだけ考えたって『煮詰まる』という言葉がある。

「忘れるとはそのものの価値の区別、判断である」

その通りだ。

必要ならまた思い出すし、興味があるなら忘れるわけない。わざわざ自分で頭にこびり付かせておかなくても勝手に頭が区別してくれる。

 

このキーワードに出会って数日間、なんだか調子がいい。

あぁ、そうかと視界が開けたような、頭が本当にすっきりしたような。重い頭痛もほとんどない。

頭にスペースができたからか、ものごとが上手く進む。今、目の前のことに集中できる。

 

冒頭に『飛行機』と『グライダー』の話がある。

グライダーは自分では飛べない。受動的だ。

飛行機は自分に動力がある。自発的。積極的。

学校はグライダー人間を増やすのに優れているとのこと。従順であればあるほど、優秀と評価される。それでいて自発的能力は身についていないのに勘違いをする悪循環。

それを踏まえて『コンピュータ』の話もでてくる。

グライダー人間だとコンピュータに仕事を奪われる。人間らしさとはなんだろうか。創造的思考、独創的でなければならない、と。

 

私も中学ぐらいの時からそう思っていた。学校の勉強や授業は、言うとおりにやって、教科書通りに繰り返し問題を解いて、ある程度暗記をすればテストで満点も難しいことじゃない。

だけど、それだけでは何かが違う。そしてそれがなんのためになるのだろう。そんなものはすぐ忘れるし、それで優秀な生徒だと言われたとしても、人間としてはどうなのだろう。生きる術、人としての力が欲しい。そうずっと思っていた。そして今も。

仕事を奪われると言っても、じゃぁコンピュータにできることは本当に必要なものなのか、とか結局最後は『人』だと思っている私。



これは1986年に書かれたのだ。この内容は今よくある自己啓発本等にわんさか書かれている。
この人はもう何年も前からそんなことを言っていた。さすが、思考の生理学というものだけはある。著者には人間としての力があるのだろう。飛行機人間なのだろう。

 

 

『考える』ことが好きなわけじゃないが、常に何かしらが頭の中にはあることが多かった。

だけどこれからはスペースが空いていると思われる。新たなものが何かの拍子に入り込むこと、雑音や雑念とは違う真の自分の考えが持てることを期待する。

思考がきちんと整理されたし、こっそりと生きるヒントを教わったような本。

 

 

 

思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)