ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

必要なもの

ネタって人と話す上で必要なのかな。
日常生活や自分の身の回りに起こったことを、これは人に話したら面白いなと、笑ってもらえるだろうなと、頭の隅に書き留めておく、か、メモしておく。
そしてそれを色んな人に話す。
面白さや、話術を求められるならだけど…
私はそこまでしてたくさんの人に話題を提供しようだとか自分の面白かったことを共有しようだとか思わないのかもしれない。
というか、忘れる。頭の隅にさえも書き留めておけない。
今が通りすぎたらよっぽど衝撃的なことじゃなければ、それはほぼ見えなくなる。

だからなのだろうか。
人が同じ話を色んな人にするのを目の当たりにしたら、少しだけ『?』な感情が生まれる。
その人からしたら多分私の方が『?』なのだけど。
私としては、それしか話題がないのかな。さっきも誰かに話していたよな。そんなみんなに言うことなのかな。という感じ。
その人としては、人に楽しんでもらおうとかその場を盛り上げようとか、話題を切らさないようにだとかなんだろう。
それは元から備わっている機能なのか、身に付けた機能なのか。
どちらにせよそうなりたいとは思わないけど(嫌みではなくて、そうなれる気がしないのでしんどい思いをしてまでそうなりたいとは思わないということ)、凄いなと思う。

だから私はたまに、友達に「なにか話題ない?」とか「なにか話してよ」と言われるのだろうか。
でもそれならそれ言う相手も考えものだ。
そう言える仲でもあるということだけど。

良い悪いじゃなくて、色んな種類の人がいて、似たり寄ったり、程遠かったり、でも全く同じではなくて、自分はどうで人はどうか日々感じている。
人に気を遣いすぎて疲れることはしたくないし、自分を出せない場所で息の詰まる思いもしたくない。
(それ以前にできてない)
それでもやっぱり意思をもって一緒に時間を過ごしてくれる相手には、多少…いや、それなりの気遣いや思いやりはもっていたいなと思う今日この頃。