ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

2019.1.23

最近は料理とか洗濯とか、それをする時が一番心がしゅんとする。
ただ淡々と毎日決まった時間に毎週決まった日にそれを行う。
当たり前のように。体に染み付いたように。人として生活していくために。
かといって自分から喜びが出る訳じゃないし感謝の気持ちも出るわけじゃない。
私はこれをこれからも何回も何百回も何千回も繰り返して生きていくのだと思うと絶望に似た気持ちになる。
これらをするのがしんどい。これらに感情はない。時間をとられるのがしんどい。これらを行うと私は私の生活から抜け出せないんだなと痛感してしんどい。


じゃぁ家族がいたら違うのかというとそれもまた同じなんだろう。
私が実家に居た頃母がよく、毎日毎日感謝もされないのになんでこんな大量の洗濯物を回さないといけないのか。疲れる。
と言っていたのを思い出す。
こんな気持ちだったのかな。その時は家族が7人で母の労力は倍以上で今の私と比べ物にならないけど。


料理は好きだったはず。昔からなに作ろうってところからほかほかした気持ちでしていたはず。なのに今はそれは感じない。
ということは私が好きだったのは料理を作ることそのものじゃないのかもしれない。
母と作るあの空間だったり、食卓を囲む時間だったり、褒められることだったり…多分、食を介して人と触れるのが好きだったのかな。
それか、本当に心が離れてしまったのか。
もっとここは掘り下げたいところ。ここが自分の中で納得できるものとしてちゃんと浮かび上がると私の探しているもの、もしくは忘れているもの、目的地、目指す場所ががわかるような気がしている。




眠たいから寝て、目が覚めるから起きる。
そんな生活できたらなぁ。
明日が早いから寝なきゃ。仕事があるから、用事があるから、目覚ましセットして起きなきゃ。大音量で眠りを妨害される
そんなんじゃなくて、瞼がおりてきた、うとうとしてきた…寝よう。
夢を見ながらぱちっと目が開く…朝だ。
みたいなのがいいな。


そんなこと書いてるけど…
仕事いって、整体行って、クラリネット吹いて、ピアノ弾いて、ヨガに行って、カフェ行って、本読んで、ストレッチして…
とそんなゆったりとした日は週に1日あればいいくらいで割と時間を調整して毎日を過ごしている。もっとそれぞれの精度をあげていきたいし、もっと時間をかけることができたらと思うことが多い。


クラリネットでは、今は曲を吹くのをやめて、とれた時間でアンブシュアをひたすら見直すことにした。
音階とか簡単なメロディを吹くくらい。今は音作りに集中。
夜しか時間がとれなかったら鏡を見てマウスピースをきちんとしたアンブシュアで咥えるだけでもしている。


ヨガはずっといってみたいと思っていて、ようやく初挑戦。少人数のところにいったから逆に緊張した。どきどきした。
自分のポーズがあってるかもきちんと目的の場所が伸びているかとか分からないことばかり。
体験の分だけは行って通うかは考えよう。
何かしら体のためになることをしようと考え中。


少しずつ時間を何に使うかがちょっと前の私とまた変わってきた気がする。


忙しく感じたり、なにかをまぎらわすために忙がしいふりをしているのか、ふとなにもしたくなくなったり。
思考も割とぐちゃぐちゃなので、ついここに考えていることを書いてしまう。
読み返すとこれもまたぐちゃぐちゃだけど…