ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

冷えきった心の温め方を知っていますか?

私は忘れちゃいました。

美味しいものを食べるとか、好きな音楽を聴くとか、カラオケにいって大声で歌うとか、よく寝るとか、本を読むとか、人と話すとか……
そんなんだったような気がする。
だけど今となっては、
美味しいものってなに?なにが食べたいんだっけ?そこにあるものを食べる、作るのが簡単で時間がかからないからそれを作る、お買い得だからそれを買う。
音楽もあまり聴かなくなった。
声があまり出なくなった。
寝て起きてもすっきりしない。もっともっとリラックスして寝る時間が十分に欲しい。
本を読む気がわかなくなった。よんでも字を追っているだけで頭に入ってこない。
肩、首の痛み、それからくる頭痛が常にある。しんどい。これは職業病の単なる体の痛みだけではなくきっと精神面とも繋がっている。
こういう時、自分の支えになるものが失くなったことに気付いてしまってどうしたらいいのかわからない。




私はそれをしていない、きょう出来上がったものの出来が…って今日私はそれをしていない。他の人がした。
自分がしたかしてないかそれさえも忘れてたから、普通に話をきいていて、よくよく考えたら私はそれをしていない。だからと言って、今更掘り起こして言うことでもないし、だけど、それが誤解されたままなんてなんか悔しい。私だけが分かっていればいいのかもしれないけど。


私はちゃんと正しい方をしていた。けどそれをあなたは見ていないだけで、それは違うよと言ってきた。別に怒られたわけでもないし優しく言われたからなんとでもないはずなのにすごく嫌な気分になった。私はちゃんと正しい方でやりましたとも言えなかった。「はい」というだけ。

私は何がそんなに嫌だったのか考えた。
その人の中で、私がちゃんとしているのにしていないことになっていること。
ちゃんとその目でやっているところを見ていないのに、決めつけで思い込みで間違ったことをしていると思い訂正されたこと。
信用がないんだなと思った。
そういうところできちんと「してない」「しました」って言えばいいものの、相手に恥をかかせてしまうのを避ける方を優先して言えない自分。
変なプライドと自己犠牲。



身内は体調悪いだとか、大変だとか私に連絡してくる。
正直そんなのしらない!!なんでわたしばかりそんなものを受け止めなきゃならないんだろう。
私のことは誰がきいてくれるのだろう。
「体調が悪くてあの子は(姉)大変。こっちも大変よ。」母が言う。
まだ姉も母も言えるだけましだと思う。そう言われると私はこれ以上迷惑かけちゃいけないと思う。そう思うことは薄情ですか?
みんなそれぞれ大変なのは分かっている。みんな何かを抱えているのも分かっている。つもり。
だけどそれを平常心できくことができる余裕は今、自分にありません。
本当はこんなことばかり考えたい訳じゃないし、こんな事ばかり書きたい訳じゃない。
だけど、どうやったら自分を温められるのか、守ってあげられるのか、わからない。