ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

防御力

「自己犠牲をする自分が嫌になる」

と以前書いたけど、それと同時に自己防衛をする自分もいる。
その自己防衛というのは私にはかなり根強いものがある気がする。

いつもなのだけど、人にぐっと距離を近付かれると、自分から距離感を測って、1歩下がる。
人との距離は大体、常に、一定の距離を保っている。
職場の人間関係は1番そう。
ということは、職場で出会う人とは決して近付けないのかもしれない。
「⚪️⚪️ちゃんの存在はありがたいと思っている」
と言われたなら、少し怖くなる。
更にそう思われているならそれを維持しなければならないと思ってしまって親しく接していたのを逆にぱりっとさせてしまう。

人に話しかけて話すけど、それである程度の距離が近付いたら、なんかよくわからないけど自分のどのかで危険信号がでる。
(それは相手からも少なくとも好意が感じられる場合。相手が自分に無関心だと逆に距離感を測る必要はない。自分が好きなようにできるから。)
これ以上この状況を続けたら、離れるのが大変になる。というもの。
それは自分から離れるときも、相手から離れられるときも。
だから近付いたと思った相手には、自分から話しかける頻度の調節を無意識にしているのだろう。

きっと、
その感情はいつまでも続かないであろう、それで傷付くのは自分だ、その前に傷つかないように距離をとろうということなのだと思う。
その感情はいつまでも続かないであろう、という感情は、自分に自信がないから、こんな自分にずっと近くにいてくれる人はいないという気持ちが自分の中にあるから思ってしまうのであろう。


多分、ほとんどの人がこういう感情は持っていると思うのだけれども、私はほんとに昔から今でもずっと。
こういうのが、私は相手に近付きたいけど近付けないのを生み出している。そして私がそうだから相手も(近付きたいかは?だけど)近付けないことが多いのだろう。
自分がそうなのに、人が他の人と私に対する距離感が違うのをみると寂しく思う自分もいる。

そういう自分がいることは前々から分かっていて、自分と向き合っているのだけれども、だからどうとかなる話じゃない。
そういうの、もっとうまくやれないかなぁ。

まずは自分の価値を自分で見つけて認めれられること。
それが何よりも難しいこと。
他者からの評価では一時的に埋まるものはあっても
、満たされないのは分かっているから。

こういうことを思ったりたまに忘れたりしている。