ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

未熟な中での他者との関わり

人の資質は、生まれ持った先天的なものと、周りの環境から形作られる後天的なものとがある。

それを踏まえて私が組織の中で働くにあたっていつもしんどいことがある。

人に頼るとか、後輩をかわいがるとか、話すコミュニケーションが足りないとか。

この歳になると、そろそろ指導をする立場にもなる。指導というか、全体を見てうまく回るように声をかけるとか。場の雰囲気を良いものにするとか。自分だけのすべきことを淡々と進めていくのではなく、+αが求められるのだと思う。

でもそれができない。凄く苦手。

なんだろう。できるだけ声を発さない方を選んでしまう。

普段から私は波があって、閉じて閉じてふさぎ込んでしまうときと、開いて人に働きかけるときと、不安定。前者の時期なんて最悪だ。

俯き加減、人と目を合わせられない。すみませんとよく言う。私1人の生活ならまだ誰にも関係はないけど、仕事となるおなじ空間で仕事をするというのに、話したくない。声を発したくない。周りが見えなくなる。視野が物凄く狭くなる。明らかに仕事の回りが遅くなる。

この前まで良い感じだったのに、次の日にはころっと変わってしまう瞬間がある。

今がその時期ともいえる。

 

それに加え、このような自己分析がある。

・「自分がしたい」という「自分が自分が」という部分も持っている。

・いとこも含め私が一番年下だったから年下をかわいがるより年上に可愛がられることしか知らない。+そうされたいと思っている。

・人に言ってやってもらうより自分がした方が早いと思っている。

・人にお願いをしにくい。→人の段取りを乱したり、やろうと思っていたことを言ってるかも知れないと考えるとかなり言うタイミングを計ってしまうのでしんどい。=自分がそうされることを嫌う。

・仕事の人とは仕事の人でそれ以上は踏み込まない。

・話かけづらい雰囲気を持っている。=自分からむやみやたらに話し掛けない。(業務のことでもこれもまた言うタイミングをかなり計る。)

・言わないでも察して感を物凄くもっている。なのに人には言ってくれなきゃ分かるわけないじゃんと思うことが多々。

・人と人とが話しているところには、気軽な談笑であっても自分からは入れない。

 

なぜこんなことを考えているのかというと、今日、言われたから。

どんな風に言われたかというのは長々書くつもりはないけれども、助言と受け取れるような、こんなことを言ってくれる人がいるんだなぁと感謝できる感じではあった。

だけど今の閉じている私だからかちょっとしんどかった。痛いところを突かれたという感じ。

昔から、どうもこういうことが苦手というのは感じてきていて、なんでうまくやれないんだろうと苦しんできた。それでもなにも変わることができなくて、ここまできた。

これが私なんだ。というところまで来ていたところでそんな風に言われた。

じゃあ私はどうしたらいい?これが私。でも、できるようになるといいね。と私とは正反対のところを目指せという。仕事は仕事だから違う人格になればいい?なれないよ。できないよ。ちょっと泣きそうになった。昔からこのことで悩んできたんですけど、私、どうしたらいいのでしょうか?って。まぁでも、その人は私の過去の姿も環境も心の内側も知らないから関係ないこと。今の私をみてそう助言してくれた。

技術や知能うんぬんよりも、人としてちゃんとなりたいと思っているのだけどどちらも全然だ。

 

組織では他者と必ず関わらなければならない。

組織の中では全ては自分の想い通りにいかない。

私はやっぱりちょっと向いていないなと思う。向いていないというか、私がしんどい。

私が私のままでもう少しうまくやれる方法はないのだろうか。

少し、ほんの少しだけ、組織の為とか上の者だからとか仕事だからとかってなんで無理して自分に持ち合わせていないものを求めて頑張らなきゃならないんだろう。別に上に立ちたいとかはないのでひっそりと陰で自分のやりたいように過ごさせて下さいって思う。

一本の道を辿って出来上がった今の自分は十分生きにくいけど、組織の中でもまた生きにくいなって思う。

 

「変わる」と「成長」は同じなのだろうか。「成長する」ことは「変わる」ことなのだろうか。

私はどうしていけばいいのだろうか。