私には4、5人でわいわいランチとか一生無理だろうなぁと隣のグループのやりとりを感じながらいつものカフェに1人座っている。
無理だと思っているから叶うことがないのだ。
きっと同じ職場の女子会だろう。
この1週間はいろいろあった。
自分の中のなにかが崩れた。今までどうやって色々をしていたか、分からなくなった。怖くなった。私は何を信じて何に乗っ取って行動してきたか、何が私だったか、ぐちゃぐちゃになった。
知っている人の笑顔が少し怖くなった。
今の私は言葉が刺さりやすい。
優しい言葉も辛辣な言葉も今聞いたら涙が出てきてしまうだろう。
とりあえずこういうときは、好きなことをしよう。2週間ぶりにいつものカフェにきた。
優しいご飯と優しいお店のお姉さんと優しい空間に元気をもらいに。
ここで考える。
私は疲れたんだ。
自分のことと、人のことと、人から浴びせられる言葉と。ごちゃごちゃなんだ。
『怒り』と『悲しさ』は隣同士だろうか?
嫌なことがあると、怒りに走りやすい人と悲しみに走りやすい人といると思う。
わたしは後者。と同時に、その事をあまり人に話さない。(話せる人が少ないというのもあるけど)
聞くときも、『怒り』を聞くより『悲しみ』を聞く方が落ち着いて聞ける。
私の中で『怒り』は悪者という偏見があるのかな。
怒っている人を見ると少し不快感が募る。(正確には怒りを周りに振り撒く人。)なんでだろうか。そして自分が怒っていたらだめだなぁと思う。
悲しみの方が情が湧く。怒りにはあまり触れたくない。なんでだろうか。
そんな私に、『怒り』という名の悲しみをぶつけてくる人がいた。
聞いて欲しいんだろう。共感してほしいんだろう。一緒に怒ってほしいんだろう。
でもそれを浴びせられる度、私には何かが積もって何かが崩れていった。
信頼関係に関わる内容で、その両者を私が知っているから尚更しんどかった。
自分の身に起こったことじゃないのに、凄く悲しくなって凄く怖くなった。
なんで私は人と人とのやり取りでこんなにずたずたになっているのだろうか。
私がこんなにずたずたになるのなら、本人はもっともっとずたずただろう。けど、ごめん、私はシャットアウトしてしまった。きっと私のこの行為はその人を傷付けた。突き放したと思われただろう。
でもこれ以上きくと、私が危ないと感じた。自分の身を守らなければはらない。
そして多分、私の引き出しに人を簡単に信じてはいけない。というものがまた入ってしまった。『また』だ。
あぁ、そしてまた勝手に作った色眼鏡で世界をみてしまっている。それじゃどんどん悪い方へ転がっていくのは分かっているのに…
夜眠れなかった。3時になんとか音楽をかけて寝て、7時には目が覚めた。二度寝もできなかった。休みだからいいものの。
ふぅ。明日からまたがんばれるだろうか。色々取り戻せるだろうか。
とりあえず、元気じゃなくても1日をすごせたらよしとしよう。
美味しいもの食べて、海沿いを歩いてこよう。とにかく歩こう。こういうときは、自分に甘々でいいのだ。