ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

スマホを1日なくして過ごした。

昨日、今日と綺麗な青空が広がり気持ちいい。
正確に言うと今日はちがう。
みなさん、ケムトレイルってしってますか?
晴れて青空なのに薄い雲みたいなもやが空を覆っている。
ひこうき雲に似ていて、そうではない。
昨日は全くなかったのに今日は空がすごいことになっている。霞んでる。
海岸を歩いてると結構おじさんに話しかけられ、このケムトレイルの話をされる。
ケムトレイルおじさんと勝手に呼んでいる)
調べてみると、ちょっと怖い。何が真実なのか分からないからまた怖い。
あぁ、余計なものがない昨日みたいな青空がみたいなぁと、今日は思う。


さて、昨日の話。
スマホが出掛ける直前まであったのにいざ家を出ようとしたら、見つからず、15分ぐらい探しても見つからずで諦めてスマホなしのお出掛けとなった。
そのことについて。

結論から言うと、自分はスマホに依存なんかしていないと思ったけれど、そんなことないんだなぁと痛感した1日だった。

昨日は休みで予定としては、ヨガに行って、電車で藤の花を見に行って、そこから歩いて気になっていたパン屋やカフェにいこうという計画だった。

まず、時計を持っていない私はスマホがないと時間がいつでもはわからない。
ヨガに行くにしても、その日はもう予約してたけどもししてなかったらそれもすることできない。
藤の花を見に行く場所は以前行ったから場所がわかったけど、パン屋は、知らないまちで住宅街にポツンとある感じだから、絶対にわからない。
いつも頼りにしているGoogleマップ先生がいらっしゃらないことは、私にとって大変なことだった。
スマホがないと私はどこにも行けないのだろうか。
なんてつまんない人間なんだと思った。


まちにある時計で時間を知ることができた。
人と連絡はあまりとらないけど、いざなにかあったときに誰かにすぐに連絡することができないと思ったらそれだけで少しだけ不安になった。
普段気にしない公衆電話のありがたみも分かった。
意識してみると、私の住んでいる所には、ちょこちょこ公衆電話があった。
今の私は、公衆電話で電話を掛けようとしても実家と母の電話番号しかわからない。母の連絡先は、中学のとき、迎えの電話をするのに公衆電話で3年間かけたからずっと記憶している。
それだけわかってたら十分なのかな。
だけど、スマホをなくしてしまってデータがなくなってしまったらそれ以外の人とは連絡はとれなくなる。そんなもんだ。
なににしても、一人暮しでスマホがないと本当に独りみたいだなぁと思う。
かといって、私の場合、スマホで繋がりが深まっているかというと別にそうでもないし。
スマホがなくなればいっきに連絡できる人が減ると思うと、私の繋がりってその程度なのかもって少し怖くなった。
小学生のときには親が携帯をもち、中学3年生には携帯を持った私。
もし今携帯を持っていなければどういう生活をしていたのだろうか。
どうやって連絡を取って、どうやって旅に行き、どうやって人と関係を築いているのだろうか。
想像することさえ難しい。


今の時代、スマホをもっているのを当たり前に思いすぎてるとも思う。
私の最寄り駅ではつい最近、駅の時刻表がホームからなくなり、代わりにこちらで確認くださいとQRコードが貼られた。

心なしか、公衆電話を使っていると、珍しいものを見る目でみられているような気がする。



最終的に、母に公衆電話から電話を掛け、私のスマホに電話をしてとお願いした。
こんなところに私は置いたのか…と。いつもよく使う場所でここもみとけば良かったと思った。あっけなく見つかった。
スマホをもう少し手放して生きられるようになりたい。便利なものは使えば良いけど、あったら使うけどなければなくても生きていけるという人間になりたい。
と思った出来事。