ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

友人

梅雨だけど、梅雨じゃない。変な感じが今年はしている。

 

友達とうまく繋がれない。

具体的に、

今度夏に連休があるからどこかに行こうと話していた。

予定を立てようと言ったところで返信が途絶えた。

分かるよ。そういう気分じゃないときもあるし、日々生きることで精いっぱいの時もある。

だから返信できない時もあるし、したくない時もある。分かる。

でも、こちらとしても結局どうなのかわからないし、一か月も連絡こないならもういいかなぁってなる。

夏のお盆近くのお休みだときっと、色々な予約とかは早くしなきゃ埋まっちゃうし。

レスポンスが遅いと話が進まないからなんか面倒になってくるし相手も特に行きたい訳じゃないのかなぁって思う。

そう思うと、返事が来ない相手にもう一度同じことをきく働きかけをするのも面倒になる。かといって自分が勝手に決めとくこともしない。

1か月経ち、返信がきた。

お互いがお互いの出方を探っているような。

探る上にレスポンスが遅いのでこれまた話が進まない。

あー、今回はもういいかな。

私の心が狭いだけなのかな。

 

友達といろんなタイミングが合わなくなった。

自分の物事に対しての進め方と相手の物事に対しての進め方が合わなくなった。

お互いが知らないところでそれぞれいろんなことを経験して、接し方も受け方も変わってくる。

相手の状況がわからない。遠方の友達とは連絡を密に取らない限りは一向にそうなるばかりだ。

そういうことは歳を重ねれば重ねるほど増えるのだろう。

寂しいと思うけれども、自分はその努力ができないから仕方ないのかもしれない。

 

田舎ということもあり、私が物心ついた頃に既に母は友人と会うということは一切していなかったと思う。

いや、一度だけあった。覚えている。スーパーのテレビがある座って休むところで、何十年振りかに会う友人と約束をしてそこで会って話をしていた。私はただ出かけられるのが嬉しくてついていったんだ。相手の息子も来ていたと思う。

母は毎年の年賀状で、「もう、どうしてるかも分からない、何年も会っていない人に書く意味あるのかしら」と卑屈になりながら数枚の年賀状を出していた。

「友達いないから」という言葉をよく聞いた気がする。

私もそんな風になってしまうのかなぁ。想像がついてしまうところが怖い。

 

友達という名の他人。

今は歩み寄れない、努力できない、寛容でいられない。

なんかうまくいかないなぁ。