ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

夢と現実がリンク

夢を見た。


場所は地元のどこか。
私の今まで築いてきた友人たちがいた。
それは小学校から中学から高校まで様々な時期の。
それぞれみんな関わりはないのだけども、何故か皆が一斉に集まっていた。
教室?だったかな。とにかく1つの建物。
行く場所行く場所に誰かがいて、その人と話す。
よく分からないけどそんな感じ。夢ってよく分からないもの。
そして、私がそろそろ行くね。って帰ろうとしたとき、ある人に「待って、話があるんだ」とある一室
に連れていかれる。

扉を開くと、そこには皆が集まっていた。
みんなで大きい紙を持っていて、思いでの写真たちがそこに張ってあった。
ある人がこういう
『お前は、どうせ1人ぼっちだと思っているんだろうけど、そんなことないから。ここにちゃんとみんないるから。頑張っていってこい』
みたいなことを言われた。
私が感動してたところで目覚めた。

起きたとき、寂しさと、私はまだ頑張らなきゃいけなんだなぁ。みたいなことを思った気がする。
けどその感動はもう忘れた。
妄想が作り上げた夢。
ちょうど、BUMP OF CHICKENのバイバイサンキューをよく聞いていたから、それも影響したのかも。
まさに夢と歌詞がリンク。
「僕の場所はここなんだ 遠くに行ったって見つかるとは限んない」
「僕の場所はここなんだ おじいさんになったって僕の場所は変わんない」


そう。私は最近考えている。
居場所というのは、人が作る。
物理的な居場所があったとしても、空間の話。
本当の居場所とは、人だ。
昔からだけど、最近はもっと濃く強く、人と関係を築くことを諦めている。
人が嫌いな訳じゃない。
色んな人のことを覚えている。思い出すと胸がきゅーっとなる人もいるし、今どうしているのだろうと思う人もいる。
でも自分から連絡はしない。できない。なんと思われていいはずなのに、連絡したら迷惑なのじゃないか。あっちにとっては私は忘れたい存在なのかも。距離を起きたい存在なのかも。とする前からあれこれ考えてしまう。やってしまえばわかることなのに、そう決めつけてやらない。あるいは本当のことを突き付けられるのが怖いから。

人付き合いは今度は上手くできるかもと思っても、上手くいかない。その期待して落ちる感じに疲れた。私にその機能は備わっていないのかも。
最初は弾む話も、会う回数が増えたり毎日会っていると、私はあまり話さなくなる。というか何を話したらいいかわからなくなる。
あまり自分のことを開示しないタイプで、ある程度の出来事や感情は自分のなかで消化するから。

今度は上手くできるかも、仕事での人付き合い。
最初こそはそうおもったけど、でもやっぱり無理だったな。
一緒に仕事をする人とは年齢関係なくみんな仕事上のお付き合い。ビジネスライクな接し方になってしまう。


期待はしない。もう無理にがんばらない。
と、閉じてきちゃった。
やっぱり変わらないなぁ。

そう。このブログを始めて2年が経った。
ということは、職場を変えて2年が経った。

私はやっぱりこれなんだ。
だとしたら、私が生きやすく感じる環境を私が準備してあげなきゃ。と思いつつ日々は過ぎるばかり。
どこにいっても居場所が感じられないのは人と上手く繋がれないから。
それは分かっていても、出来ない。
変わるとか変わらないとかの問題じゃなく、元々無いんじゃないかな。
どうしたらもっと生きやすくなるのだろう。