ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

刺激

この前、東京に行った。
東京に行くのは、何年かぶりだった。
1番の目的はライブ。
2泊3日。
感じたことがある。

私は都会に行くことが少ない。
都会でのあそび方を知らない。
そもそも都会ってどこから…?

私は、新しいものを取り入れるのが多分怖い。
それは、取り入れると自分が変わってしまうんじゃないかという怖さ。
何か大事ものを忘れしまうんじゃないかという怖さ。
きっと、これだけ変われないと嘆いているくらいだからそんなことで変わることはないのだろうけど。
妙に怖いらしい。


東京で泊まったホテルは、低価格でもこんなに色んなものが揃ってるのかと驚いた。
凄く綺麗だし、空気清浄機あるし、Bluetoothが繋がって自分の音楽が部屋で聞けるし、iPhoneとテレビは連動していたし(私はandroidだけど)、テレビでYouTubeだってみれるし……
一人旅のときは、大抵田舎か島にいくから、こんなこと味わったことがほぼほぼなかった。
こんなことで感動してたら
何言ってんの?これくらい今時普通でしょ?
ってバカにされるのかな。
なんて1人でぐるぐる、わくわく。
久々に外の世界に触れた気がした。
小さい頃にはよく感じていた、パソコンを触った時、新しいコンポ、ウォークマン、ゲーム…を買った時のわくわく感。
その時の最新技術に触れたときのわくわく感が少しだけ、私の中にまだあるんだと思った。
と同時に、あぁ、どんどん進んでるんだな。わたしは止まってるんだな。気付いたらまるで別の世界に住んでるくらいにかけ離れたりしちゃうのかな?とも。
私はどんどん進んでいくものに、入れ替わり立ち代わり、気付いたら景色がかわっていることに、少し嫌気が感じていた。
だけど進化する技術は、私にも多少なりともわくわく感をもたらしてくれる。=生活に少しわくわくをもたらしてくれるものとも分かった。
分からない、ついていけない、別に不便はしてないし…とばかり言ってないで、もう少し分かろうとしていこうかなって思えた。



技術的な面では、他のところでも感じた。
今回、整体にも行ってきた。
YouTubeで知って、体や姿勢の為になる情報がたくさん得られたので、ぜひ実際に見てもらいたいと思ったから。
多分だけど、開院して数年くらいのところで30代前半くらい?の方が1人でしていた。
そこでも、パソコンもあり、タブレットもあり、スマホもあり、それらを良い体勢使えるためのグッズがもろもろあり、色々なケアを教えてもらうときにも動画を撮ったり…
今どきだなぁと思った。施術にも体にもプラスになるものは取り入れて、サービスも施術もよりよくできるようになっているなぁと感銘をうけたというかなんというか。
そういう職種には尚更かもしれない。画像や動画に収めて判断できるし、アプリを使えば体の構造も説明しやすい。
施術はもちろん、その人自身がもっている知識や技術でしかできないし、接客もその人自身だし。
どれだけデジタル化しようが、その人自身がもっているものは変わらないんだ。きっと。
だからそういうものの良い所はとことん取り入れていくべきなんだろうな。と思った。

そしてここで感じたのは、もう1つ。今までの話とは全く違う角度から。
1人で開業してきちんと確立したものを持っていて、自分の持っているものである程度まとまった人に貢献ができている。それで生活をきちんと成り立たせている。
ということが凄いなぁ。いいなぁ。と思った。
実際に私は、この方のお陰で、少し行き詰まっていた自分の体改善がまた動き出した。これが自分では結構嬉しいこと。
誰かの生活、気持ちを、軽くする、いい方向へ持っていく、そんな術をもっていてきちんと使えてそれで生きているのが良いなあ。
となると私は?今どうなんだろう。
誰かの為になっている?わからない。
大勢ではなくてもいい。狭い範囲から考えよう。じゃあ、一緒に働いている人たちに何か渡せている?気持ちがプラスになるように動けている?いつも会ってくれる友人たちの気持ちを軽くできている?
…と考えたら少し恥ずかしくなった。ちょっと自分ばっかりだったかもしれない。無理な自己犠牲はするべきではないと思うけど、自分のことばかりだったかもしれない。
少し自分を振り返ることが出来た。
自分のこうありたい像が分かった。
まだ決められないけど、ゆくゆくは私も自分の手段をつかってそういう風に生きたいのだと明確になった。


この気持ちは、ライブで先に感じたことだった。(行ったのはライブの方が先)
ステージの上でバンドは演奏をして、歌って、言葉を紡いで何かを全身全霊で何かを伝えようとしてくれている。
そこに嘘は感じられない。そんなもの感じさせる隙なんてないほどに。
私は、そこで何かというのは難しいけど、全身で何かを受け取って、自分の中の何かになっている。
それは当然プラスになるもの。
彼らは、彼らのできることで持っているものでこんなに大勢の人になにかを与えている。そして、ここの会場にいる5万人の人達もそれぞれの場所で周りの人になにか与えているんだろうな。
それが繋がって繋がって循環しているんだろうな。
ステージ上の彼らを一緒にするのはすごく恐れ多いけど…じゃぁ私は?
その循環の中に私はいるのだろうか?
その時、私の想いが結構ぐちゃぐちゃだっただけに、私はなにやってんだろう。こんなにも全身で嘘偽りなく持っているものを最大に出してくれているバンドを見る資格あるのかな。こんな自分、恥ずかしくてこんな立派なバンドに顔向けできないなぁって。

その時はそう思ったし、もちろんその気持ちは今でもあるけど、頭の中で整理されていくうちに
私は私で立って行かなきゃって思った。
音楽も整体もそのほか私を支えてくれる数々のものたちは、助けてはくれるし力にはなってはくれるけど、結局は自分がするしかないんだ。
それが突き放されているようで、独りに感じるときもある。
でも違う。それは信頼みたいなもので、あの人があそこでがんばってるから、力をくれたから私はここでがんばろうって。私は私にできることでがんばろうって。
なるんだと思う。


他にもいった場所、友達との行動、ライブ友達との再会、久しぶりの大都会(この表現が既に田舎者。笑)で感じたことはたくさんある。
でも多くはこの2つのことがいくつかのことがらからリンクして感じられた2泊3日だった。