出来事から感情に波が生まれる。
ここ最近、いろいろ起こった。
いつものことながら、誰にも言うことなくきた。
文章にも起こせなかった。
その時気付いた。文章にするというのは、自分と真正面から向き合うこと。その出来事と感情と向き合うこと。
誰かに吐き出すことも。
自分の中のものを外に出すには精神的なエネルギーがかなり必要だった。
だからできなかった。あまり考えたくない。それほどにしんどい。
1人の人間のいろいろな悩みは、辿っていくと繋がっている気がする。
奥は1つの根っこでそこから枝が伸びるようにいろんなものに影響をさせている。
私の場合は、「人」だとか「信用」だとか「軸」だとか「自分の大事なこと」その辺に思う。
今の私は、人が信じられない。自分が信じられない。自己肯定感が低すぎる。
だけど、自分ではこれ以上どうにもできない気がしているから、人の存在がキーワードになると思う。
人は怖いが、人になら救ってもらえるんじゃないかと思う。誰か助けて。
なんとも矛盾している。助けてほしいというのもおこがましい。
最近の仕事。
10後半くらいから11月がなぜか忙しく、仕事をこなしている。という感じだった。
以前までの自分なら、こなしている、きちっきちっと仕事が進んでいくことに喜びを感じていたかもしれない。
だけど、今の私は、「なんのためにしてるんだろう」という思いが強かった。
私は、この場所の目指している方向とは違うものを大事にしているのだ。きっと。
それが強く自覚はできたのだが、とにかく達成感よりは疲労感だけが積み重なっていた。
たかだか、いつもより2時間くらい遅く帰るくらいで情けないな。と思ったけど、原因はきっとそれだけじゃない。
コミュニケーション不足だったり、作業への雑さがでてくる自分が嫌だったり…
あとはきっと、本当に今の世界が好きなのかなぁ。何が好きでこの世界でやってきたんだっけって。そんな疑問を胸に抱いているから。自分の気持ちを疑いながらしているから、身が入らない。
そんな状況だった。
12月に入って少し落ち着いたのだが、11月の自分の仕事の粗がここで表面化してきた。いくつかの問題として、それが返ってきた。ミスが多くなった。
ますます自分のことを疑った。
その問題の報告を受けたとき、真っ先に考えたのが自分への絶望感だった。そのことにもショックを受けた。
お客との問題だったので、真っ先に考えるべきはお客さんのことだ。なのに、自分がとんでもないことをしてしまったという方への意識が強く、そんな自分に心底がっかりした。
私は人を相手に仕事をできていない。そうありたいのに。
作業になっている。もの作りの向こうに、誰も見えていなかった。今も見えない。
そのことが悲しかった。どうしてこうなっちゃったんだろう。
問題自体よりもそのことで頭がいっぱいになってしまった。
そのことについて、対策を考えようという話し合いの場で、私は泣いてしまった。
情けないと思うし、泣くべき場面ではない。問題を起こした当事者なのに。
そして対策うんぬんかんぬんよりも、自分の気持ちを吐露しただけの場だった。
泣いたらどうにかなると思って泣いた訳じゃなくて、涙があふれて堪えきれなかったのだけど、ずるかったと思う。
肝心なその対策については結局話さなかった。話せなくしてしまった。
職場の人は、きつく言うような人ではないので、
そんな感じじゃないかなって気付いたのがついこの前で、ごめんね。甘えてたよね。全部しようと思わなくていいよ。今は好きなことする時間はある?
というようなことを言ってくれた。
それがまたしんどくて、気を遣わせているようで、そんなことを言わせてしまった今、どうしたらいいのか分からない。
これは私の問題。私のモチベーションの問題。周りがどういってくれようが、届かない。自分でしかどうにもできない。
多分、仕事量だけの問題じゃない。あなたのせいじゃない。すごく良くしてもらって、スタッフのことを考えてくれていることも伝わるけど、それじゃどうにもならない。
好きなことする時間…好きなこと…好きなことってなんだったっけ?
職場に行くと、その時のことと、その時に肝心な話し合いができなかったことをどうしても考えてしまって、どう過ごしたらいいのか分からない。
私は、ここに居てはダメな気がする。
今、私が作るもの。それには心がない。自分でも分かる。
これを、だれが買ってくれるのだろうか。
私が作ったこのものを食べたい人はいるのかな。
新しいものを作るときも、これ、本当に美味しいのかな。
別に誰も喜ばないんだろうな。
なんてこと思ってしまっている。
昔を思い出す。誰かを思って作るときが、1番わくわくしたんだ。
今は何を思えばいいのか。
売り上げ、材料費、流行…それらに興味はない。
私、商売、向いていない。
どうやって生きていけばいいんだろうか。
なんてことが起こる前に、素敵なお店に出会った。
美容室にカフェが併設されていて、ここ1年でできたお店。1人でされている。
直線を進んでいく道からは目立った看板もなく、なんの変りもない。
そのお店の真正面に行き、ガラス張りの外から中を見ると、そこだけ異空間というか、時間の流れが違う場所。みたいに思える。
中に入ると、わぁ~と言う感じで、思わず360度見渡してしまう。
きらきらしてるんだけど、眩しすぎない。近づけないきらきらじゃない。
人に聞いて、予約していった美容室。
きちんとカウンセリングもあり、1人に対してじっくり向き合ってくれる。
きっと技術も確かなんだろうな。カットしかしなかったし、素人にはよくわからないけど。
初めていく客だから、色々話してくれた。
「美容師は、技術職だけど接客業だとも思っているから、切っている間も楽しんでもらいたい。スマホをずっと見ていなきゃいけないとか時間が長く感じるようにはしたくなかった。美容室にいっても、なりたい髪型をあまり踏み込んでは聞かれない。そして出来上がりがおっ!と上がるような満足するのってなかなかない。お金を払ってもらってるのにそれって変だなと思っていて、だからこそ、その人のライフスタイルや服装とかもしっかりきいて、その人が1番よく見える状態に持っていきたい。
美容室でカラーやパーマの待ち時間に出されるコーヒーって美味しくなくて全部飲めないから、それは嫌だなって思ってコーヒーはここだけのオリジナルブレンドで、ちゃんと手淹れをしてるんです。」
というようなこと…。
あぁ、時間の流れが違うように思えるのはこういうことなんだと思った。
ゆったりと優しい時間。自然体で自由。
がこの美容室にぴったりな言葉だった。
この、いかに効率よく人を捌くかみたいな流れの世の中に、すごく染みるお店だ。
私が大事にしたいものと方向が一緒のような気がする。
内装は、白や木がベース。そこにちょこっと色のアクセントがある。
ちょっと独特の飾りがあったりして、この人の想いや好きやセンスの固まりのお店なんだなぁと思った。
その人がそのままお店になっている感じ。
好きに囲まれて自分のルールで構成されている場だから、人も穏やかで、来店する人にも癒しや安らぎが生まれるんだろう。
ちょっと、パワースポットみたいなお店だった。
私の大事も再確認できた場所だった。
良い空間を作るというのは、そのお店の人にとっての良い空間じゃなくてはならない。
だから、私はまず自分の部屋が、ほっこりできる安心できる部屋にしたいと思った。
そして自分の好きで溢れた部屋。
今までは、寝れて寒さや暑さがしのげれば良いと思っていたくらいにそういうことには鈍感で、外に良く出かけるのも、部屋の居心地が良くないからというのも多かったのかもしれない。
と何からどうしていこうかと思ったけど。
そこでも、自分の好きってなんだったっけ?好きな色は?癒されるのは?ほっこりするのは?
と、ほんとうに好きなんか関係ない場所で暮らしていたことを思い知った。というか、好きなんか気にしない環境。
そのことについてはまた、別に書けたらいいな。と思う。
わたしは今ごちゃごちゃな状態だけど、いろんなことは奥底で繋がっている。
すごくすごく、生きにくい。どう生きたいかを決めないと。
もう少し人とも話したい。
1つ1つを見直して丁寧に。
自分の好き、大切を忠実に…