ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

根っこの部分

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今は、仕事も私の生活も冴えない。

多分もう私は決めている。
この職場にずっとはいない。
みんな、いい人だから辞めにくいし、辞めてどうするかはまだなーんにもなーんにもないから、すぐにはどうこうする気はないけれども…
もう明らかに、前とは職場との関わりかたが変わっているのは自分だけじゃなくて周りの人も分かっていると思う。


私、なにがしたいんだろう。
わからないなぁ。
25歳。中途半端な年だなぁ。と思う。
きっと、幾つになってもなにかしら理由をつけてそんなことを思うんだろうけど。
仕事は、長期戦だから毎日全力投球してたら体も心も持たない。
その通りだと思う。
でもだからって、惰性でするのってなんかちがうよなぁ。どうなんだろう。
惰性でしてて誰のためになるのだろう?人のためでも自分のためでもないような…

私は、数年前から仕事が生活のようでありたいと言っている。
最近人と話してて分かったのが、それは時間的なものではないということ。多分。
やったことないからわからないし、雇われているという精神からなのかもしれないけど、ずーっと働いてるって私の体力的問題ではきっと無理。
疲れやすいのは承知だし、朝早ければ夜も早くなければしんどい。
それはずーっと立って動いている力仕事だからかもしれない、一概には言えないけど。
もし一人だったら、現場でのこと以外に、経営、掃除、経理、事務……などなど、そこに時間がかかってくる。
私は、仕事でもプライベートでも、誰かに何かを渡したい。私が人から受け取っているものを、循環させていきたい。私の持っているものが人の心の何かしらに響いたら嬉しい。そしてそれを感じられるくらいの人との距離感は欲しい。
そういう、生きる上で大切にしたいものが仕事でもプライベートでも一貫していたい。
仕事だからこれは会社の方針で、というのは嫌だ。
1人の人間だから、そりゃ同じものにしかならないんだけど、雇われているのだとやっぱり自分の好きなようにはできない。だから、自分でそういう場を作れるようになりたいんだ。自分の持っているものを自信をもって言えるくらいにはなりたいんだ。
その大切なものが、仕事でもプライベートでも今は見えないから、毎日が冴えない。
そういうことだ。
ということが分かった。
分かったからといって、じゃぁどうしたらいいのか。
それは分からない。


いつだって地元のことが頭の隅に確かにあるのだと思う。
別に生まれ育った場所に戻らなければならないという決まりはない。
けど、多分、生まれ育った場所は好きではある。思い出だってある。
だけど、今はまだ、もし地元に帰っても、心からそこが好きだという自信はない。
窮屈になって地元を出た。
嘘偽りない好き、でなければ地元にはいられないと思っている。そうでなきゃ、私の大切な記憶が汚れてしまうから。
どこか別の場所で暮らしていれば、そこにはなんの思い入れがないから、好きになれなくても嫌いになったとしても別に自分は傷つかない。
そうなんだ。大切な場所なんだ。嫌いにはなりたくないんだ。帰る場所であってほしい。帰れない場所、帰りたくない場所になってしまったら本当に私の居場所がなくなる。
だからこそまだそのときではない。そのときが来るのかはわからない。


何が必要なんだろう。
エネルギー、人脈、知恵、行動力…………

人と繋がりたいけど、繋がるのが怖い。繋がり方が分からない。
といいつつ、そこまで繋がるための努力もしていない。
人と話したいけど、いざ人がいると何を話したら良いのか分からない。
店員さんは話してくれるけど、それってお客だから。
お客と店員の会話なんだよなぁ。当たり前なんだけど。
人と人との会話ではない。
それが時に寂しく思う。
私がそこに行かなければ、途切れてしまうもの。
そういうのが楽と言えば楽だけど、結局なにも残らない。


寂しい。と思っている。
私は、何かを必要としている。
それはもう、認めることにした。受け入れることにした。
だけどやっぱり1人で生きていかなきゃいけない。寂しいと、一人で生きていかなきゃ。がこの個体には共存してる。
けど、それを誰かの寂しさで一時的に埋めるのは正しくない。
この世界で生きるには、正しいか正しくないはそんなに重要ではないけど。
『人の1番大事なものは正しさではない』
長田弘さんが残した言葉。
だけど寂しさとは、それを埋めるのはきっと、自分にしか出来ないんだと思う。
寂しさを埋めるのは寂しさではない。
別の、もっとエネルギッシュなものにしか本当は埋められないはず。
それがちょっと見つからないから、勝手に周りの様々なものに少しずつ支えられて生きている。
今日はあの音楽に、今日はあのカフェの空間に、今日はあの人の笑顔に、今日はあの人との会話に、今日はたまたま出会った言葉に、今日は映画に……
なんて、勝手に元気をもらっているよ。
パワーを貰うためにそこに足を運ぶよ。
私は私で、ある意味、自分のために周りの人たちを利用しているよ。
そして無性に泣きたい気分。
映画でも言葉でも詩でも歌でも。多分、今はちょっとのスパイスで泣けちゃうと思う。


ある人が言っていた。
『物って使ってガタがきたらこれ以上悪くならないように大事に使おうって思うでしょ?』
と。
その人の前では『そうですね。』といったけど私は多分違う。
どっちかというと、使い込んでぼろぼろになってきたら、もういいやってなる。多分。
よっぽど大切なものと、体の場合は違うけど。
人との関係はどうなんだろうなぁ。考えるだけで怖くなるので思考を止める。
そう言った人は、結婚生活とかも長くなればなるほど大事にしていける人なのかな。

私の全てにおいての不安や悩みの奥底の根本的な問題は『人』とか『人間関係』とか『寂しさ』とか『居場所』みたいなものから派生しているのかもしれない。