『現実的なこと、現状を何も考えずに、やりたいことなりたいものってある?』
一度は誰かしらとの会話の話題に上がったことは無いだろうか。
私は友達とも職場の人ともこの話をした。
私は、「ミュージシャンみたいにステージに上がって演奏したり歌う人。」
とか
「小説や詩やエッセイなど何か文章を書く人」
とか
「画家とか芸術家」
と答えた。
ある人は「キャビンアテンダント」
ある人は「バックパッカーみたいに世界を旅したかった」
ある人は「女社長」
と言った。
この質問はなんなのか。
世間話にしては、憧れや諦めが詰まりすぎている。
私の場合は、もちろん全部憧れではある。
2個目までは、自分が好きなことでもあるし、私の人生にこれからもあり続けるであろうこと。
文章や言葉。音楽や歌うこと。
ちょっとだけ、1度だけでもそういうことができたらなぁという思いもあるんだろうな。
上手くはないけど、幾人かの人がいる前のステージ上で歌を歌うって気持ち良いんだろうな。そしてそれで聴いている人の心を掴めたらなんて素敵なことだろうと思う。
文章だって、そんなこと到底できないけど、自分が書いた文章が誰かの心を動かせたらなんて素敵なことだろうと思う。
歌うのはどこでもできるから割といつも歌っているし、文章を書くことも1人でできるから、こうしてブログに書いたり、手帳に書いたりしている。
から、できないという苦しさや諦めは特にない。憧れかな。
最後の画家というのは、なんでなんだろう。
私は絵を書くことは得意じゃない。だから好きじゃない。
だけど、芸術家という響きにはやけに憧れがある。
私には分からないものだからかもしれない。私にはできないものだから単純にすごいなぁという感覚。
美術館に行くことは割とある。
何も分からなくて、絵に感想をはっきり言うと持てない。というか言葉にできない。
ただ好きだなぁ。目を引くなぁ。とぼんやり眺めていたいようなものはある。これを描いた人は何を思って描いたんだろうと思うものもある。
これは違う世界への正真正銘の憧れ。
芸術的な何かを持っている人は自分を持っているような、自分の世界が確立しているような、物語があるような気がするからそこが羨ましいのかもしれない。
ある人が答えた、キャビンアテンダントは憧れだった。
ある人が答えた、バックパッカーは諦めだった。
ある人が答えた、女社長は憧れだった。
あとに続く言葉、喋り方がなんとなく、そんな風に思えた。
話す人の年齢によっても変わるのかな。
なりたい。なりたかった。したい。したかった。
できていること、今の生活に近すぎるものは言わないのかな。
ある程度自分から切り離しているもの、諦めきれたものは言えるのかな。
みんなどこかで、自分とは程遠い世界に憧れがあるのかもしれない。でも、精神的な繋がりや大事にしたいものは同じなのかもしれない。
能力も、地位も、、利益も、歳も、環境も、得意も、不得意も現実的なことは何も考えずに。
憧れだって、諦めだって、今、誰も責めないし、責任も何も考えなくていい、そういう能力が備わっている1回がプレゼントされたなら、迷わずすることなんだろうな。
結局は今現在も、心の奥の方にしまってあるやりたいことなのかもしれないな。
だってみんな、答えるとき、目がきらきらしてるんだもん。
よくある話題なんだけど、その真意ってなんなんだろう…と思って考えてみた話。
結局、なんなのでしょう。