ordinary day

思ったことを気ままに。自分を構成するものとは。他者とは。旅や自然。

内省

私達はみんな、内省して生きているのかな?
人の頭の中は覗けないから分からないけど。
私は人一倍しているという自覚はある。
1人の時間が多いから。『考える暇もない』ということは滅多にないから、いつも考えている。
内省と私はセットみたいな感じで当たり前になっている。趣味さえも越えた次元にあると思う。


最近、それがやたらに多くて少し参っている。
それが多いということは、私の周りで何かしらが起きているということ。人との会話が多いということ。何かしらの情報が入っているということ。新たなものとの出会いがあったということ。
この思考の止め方が最早わからない。
私は、人との会話で一週間くらい生き延びると思う。
その会話で残った言葉が頭をぐるぐる回って、それに対して自分がどう感じたかぴったり当てはまる自分を探している。
ここのところそれが多い。


健康についての取り組みはまだ続いていて、最近またパーソナルトレーナーがいる初めての整体にいった。
そこで言われたことは、まずは性格的なところ。
「あなたは真面目で頑張りすぎるから、ストレッチをするにしても、頑張りすぎて逆に筋肉に力が入ってしまう。普段の生活でも歯を食いしばったりとか、肩首に力が入っているんじゃないか。だから体が張ってしまう。ストレッチや筋力うんぬんよりも一番のベースは脱力すること。そして、考えすぎないこと。回復に当たる睡眠が妨げられるのはそのせい。悩みや考えは紙に書いて、頭から出した方がいい。」
というようなことを言われた。
驚いた。初めて会った人にここまで言われるとは。。。
脱力が大事と自分で最近ようやくわかったことが、一瞬で見抜かれるとは。
人の性格って話し方やしぐさや動作で大体分かるものなのかな。
長年人の体をみたり、人と接してきた人はやっぱり違うのだろうか。


よく行くカフェでも、そういう話になり…
「何考えているか分からないって言われるでしょ?」
「行動力はあるけどアンテナの幅が狭い」
「感情の浮き沈みを表に出さない」
「何かあってもだいたい自分の中で処理をできる人」
とかって言われ…
数回会って話しただけでこんなにも人のことってわかるんだなぁ。と少し怖かった。
私はそんなことできないと思った。
それは見る目がないということでもあるし、今見ている人がその人の全てではないと思っていて、分かったように言いたくないから。

そして前回の記事に少し繋がるのだけれども、
「趣味がないから、息抜きの方法をしらない子だから心配」
とか
「怖いものがまだまだ多いんだろうな」
とかって。言われてたと人づてに聞いた。
それがちょっともやもやしている。人づてに聞いたっていうのも良くなかった。
掘り下げて聞けないから。真意が分からないから。
でも、どっちにしても、私の何を知っているんだ。というのが1番だった。
そのあとに、気にしてくれてるんだなぁ。とか、その人が言う怖いものって物理的なのかな心理的なのかな。ということ。
この2つの言葉は、AとBと私がいたなら、1つはAが私にBがこう言ってたというのと、1つはBが私にAがこう言ってたというの。
どちらにも、真の私を見せているつもりはないし、自分の出来事の全部を全部話してもない。
私は人に話せることが少ない。誰にでも話せることはない。人を選んで話す。自分が認めた人にしか自分のことは話さない。(いいか悪いかはしらない)
のに、そういわれるのは心外。
1番嫌だったのは、趣味がないからという言葉だと思う。
そりゃまぁ、熱中して食べる暇も忘れるくらいの趣味はないけど。
それなりに、趣味は持ってる。
本読むことだって、詩を読むことだって、歌うことだって、景色を感じてただ歩くことだって、お気に入りのカフェでコーヒーとお菓子を食べるのだって、そこで人と話すのだって、漫画を読むことだって、YouTubeを見ることだって、音楽を聴くことだって、ピアノを弾くことだって、ぼーっと1人で何もせず考える時間だって…
私の中では私が私でいられる心休まる息抜きの時間なのですが。
私のことを知らないくせにそれはないよ。と思った。

あと、よく「友達近くにいるの?」と聞かれる。
いつもカフェには1人で行くからそんな風に思われるのかな?
それってどういう真意でそんな風にきくのかな?
前までは「いない」っていうのが恥ずかしかったけど、今はもう認めて、「いない」っていう。
そこは自分の成長だと思う。
「前の職場の人とか、専門学校の人とたまーに会ったりはします。」といったら「良かった」って大抵の人は言う。
それって人は人と居なきゃダメだということなのかな。いつでも会えるような距離に友達がいるのって当たり前のことで、そうであるべきなのかな。
なんか、ちょっと分からないんだよね。
確かに、最近それは認めた。「人は1人では生きていけない。誰かに助けてもらわなきゃ」とは思うけど、もし、友達が近くに居なくてかわいそうとかって思われているのならそれはやめてほしい。
人との会話は必要だけど、友達といつも会ってなきゃいけないわけじゃない。友達以外との会話はあるし、それにも影響は受けている。友達と居るために生きているわけじゃない。離れていても何か月かに1度あってくれる友達はいる。そもそもあなたたちのいう友達ってなに?私の言う友達って何?
確かに、数年間この地で友達を作れなかった、作る努力をしなかった私がかわいそうなのかもしれない。けど、けど、自分なりに変わろうと思って自分のできる範囲で挑戦したことはあった。
でも、それがしんどくて、傷つくことも多くて、やっぱり慣れなくて、そんな思いまでして頑張る必要ありますか?って思った。
そして、今、一周して、私は私の繋がり方があるし、私は私にあるものしか出せない。自分にできることしかできない。と思った。
しんどいところを乗り越えた先に、「変わる」があるのかもしれない。努力が足りないと言われるかもしれない。やったって言ったけどやってないのと同じレベルなのかもしれない。「怖いもの」ってこの辺のことなのかもしれない。
だけど、それはなんか違う気がした。私にも少なくともなにかしら「ある」ものがある。それを大事にしたい。そこをちゃんと見てあげて活かしたい。誰かの真似とかしたところでそれは私にはできない。誰かが持っているものが羨ましいけど、ただのないものねだり。
今がベストではないけれども、少しずつ自分のペースで模索して進んでるんだ。
だから、少しそっとしておいてくれないかな。
心配してくれてるのはわかるけど、ちょっとしんどい。どうしてそこまで人のことを考えられるの?怖い。重たい。おかまいなく。
ということなんだ。

そりゃ、怖いものはたくさんあるよ。