ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

記憶

夜が明けるのが早くなり、日が暮れるのが遅くなった。

この時期はちょうど出勤時間と帰宅時間に、辺りが紫色になる。
正しくは空が。
気持ちいいなぁと思う。
1日に2度もそんな瞬間に立ち会える。心が健やかになる。
あぁ、こういうことに気付いて癒される自分で良かったなぁと思う。
外を歩けば春のにおいがする。
あっ、もう主役は冬ではないんだ。
春なんだと思う。
季節がめぐる。


調子が良いときには、ついつい人と会う約束をしてしまう。
いつだって真剣勝負な私は、人の言葉をどんどん吸収して熟考してしまう。
別れたあと、自分の生活に戻ってからもしばらくはぐるぐる。
だから人と期間を空けずに会い続けるとしんどくなる。
頭がいっぱいになる。呼吸が浅くなる。
そうすると1人になりたくなる。本を読みたい。自然に癒されたい。いつもは行かないカフェで誰にも話しかけられないように過ごしたい。頭は置いときたい。


よくカフェに行って、店員さんと話をする。
思うことは、男性はよく語る。
みんながみんなそうじゃないと思うけど、確率的に。圧倒的に男性は語る。
お店の方向性とか自分の方向性とか。 別に聞いてないのになんだか語る。
いや、聞いているのかもしれない。そういう方向に持っていっているのかな。私が。
そういうの聞くのは割と好きだから。

でも、情報量が多いと疲れる。
こうだという芯がなく、ぶれているから。


ふと、思った。
私の記憶。
田舎だからってことじゃないかもしれないけど...
小学校の時、下校していたら、近所のお婆ちゃんが呼ぶ。そして、家の縁側に座って、これあげる。と時には、おかし、時には手作りの小物。そしてちょっと小話をして帰る。低学年の時は、素直に子供らしく接していれたけど、高学年になると、なんだかどう接したら良いかわからなくなった。
だけど、私は、そのおばあちゃん好きだった。

家から歩くとなると15分くらい離れたところにある商店。
私の地域でなにかを買うならそこしかなかった。なにを買うにしても割高ではあった。大抵はスーパーまで買いに出ていたけど、買い忘れがあったときや、スーパーまで出るのが面倒なときはそこによっていた。
駄菓子を買うときはいつもそこだった。自転車でよく買いに行った。夏休み、プールに行ったあとは必ず帰りに寄っていた。
そこのおばあちゃん。白髪のおばあちゃん。そろばんを弾いてお金を計算して、いつも何十円おまけしてくれた。やさしく名前で呼んでくれた。賞味期限が近いものはサービスでくれた。
私の記憶。
きっと大事なものがそこにはある。
私には私だからこそ気付けてるものがきっとある。
皆、そう。


「記憶は、過去のものではない。それは、すでに過ぎ去ったもののことではなく、むしろ過ぎ去らなかったもののことだ。とどまるのが記憶であり、じぶんのうちに確かにとどまって、自分の現在の土壌となってきたものは、記憶だ。」

長田弘さんの詩集の解説文にあることば。