ordinary day

思ったことを気ままに。自分を構成するものとは。他者とは。旅や自然。

交換日記 ~勝手にお返事②~

昨夜何時間もかかってこちらの交換日記の考えを書いた。

これは、今後も勝手に参加させていただいている感覚で続けたいなぁと思ったので、勝手にお返事とサブタイトルをつけてみた。笑

 

 

cakes.mu 東京でクッキー屋をしている桜林直子さんと京都で小説家として文章を書く土門蘭さんの交換日記。 

cakes.mu

 

今回はその③

「自由とは、壁に囲まれた個人の領域のようなもの 」

を題目に書かれた、蘭ちゃんからサクちゃんへのお返事について。

 

2回目「友達は両思いからはじまる」のサクちゃんから蘭ちゃんへのお返事はタイムリーでは見たんだけど、今は有料記事になっていて読めないので飛ばしました…(購読はしていないので)

これもなるほどなぁと読んだ記憶はあるのだけれどもしっかりとは覚えてない。

でも、この題目は今回私が書くこととリンクしているのかもしれない。

 

さて、今回はサクちゃんから

「蘭ちゃんは誰かに会ったとき、その人の何を見ていますか?人間関係の苦労や悩みはどんなところに生まれますか?」 

 と問いかけられた質問に対して書き進められる。

 これに答えるために、まずは自分にとって何がいちばん大事なのか考えた。

わたしにとっていちばん大事なものは”自由”
自由”というのは「自分の考えや欲求を否定されず、自分の行動を阻害されない」ということ。お互いの「自由」を尊重し合う。
おそらくこれが、わたしが人間関係でもっとも大事にしているもの。

 


逆に言えば、「お互いの『自由』を尊重し合う」ことができなくなったときが、人間関係において苦労や悩みを感じるとき

 

とあり、過去に友達が彼女以外と遊んだことに対して「私の一番は蘭ちゃんなんだから蘭ちゃんも自分を優先してよ」と怒って喧嘩したこと。

それは 人や場面こそ変わりすれ、友達、仕事、恋愛、家族間で再現されてきた。

ともある。

最初の問い「誰かに会ったとき、その人の何を見ていますか?」に戻ると…

「ひとりでいられる人かどうか」

「自由」とはある意味で、壁に囲まれた個人の領域

そういう壁を持っている人を見ると安心するのかもしれない

それは、ノックすることがあると思うけれどよろしくね。わたしの壁も必要であればいつでもノックしてよっていうこと。 

 

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まず、「自分にとって一番大事なものは何か」なぁ…と考えた。

浮かんでは消え、浮かんでは消え、1つに絞れない。

そこで、「人間関係の苦労や悩みはどんなところに生まれるか」=自分が人との関わりの中で嫌だと感じることと置き換えて先に考えてみた。

 

真っ先に浮かんだのは、「人が私を変えようとする。」ことだと思った。

詳しく言うと、生活や思考、私の中にある私というものを、勝手にこっちの方がいいよ。とこっちの方が正しいよ。と変えようと働きかけること。それをあからさまに感じる発言や態度のことかな。

自分の思想、考えが絶対的。こうであるべき、あなたもこうなりなさい。あなたはこうあるべき、と押し付けられること。

そういう時は窮屈で苦しくて仕方がない。

それは、私はこうだと思うけど、あなたはこうだと思うんだね。それはそれでいいと思う。もし変化を望むなら力になるし、じっくり待つし見守っているよ。

というスタンスとは全く違うこと。

どちらも自分の意見は主張しているけど、前者が人がいない。人をひとりの人とみなしていない。後者は自分を持った上で、人をひとりの人として(他者は自分とは全く別のものであるということ前提の上で)尊重している。

私は後者な人間だ。それはある種の諦めでもある。

人と分かりあうことは到底無理。どんなに頑張っても人は変えられない。むしろそれを望むこと自体よくない。望みや想いは気付かぬうちに態度に出て、言葉にでて、表情に出て、雰囲気にでて関係をぎくしゃくさせてしまう。と知ったから。その上で。

 

と考えると、大事なものは「尊重」かな。

それは「自由」ともいえるかもしれないし「適度な距離」ともいえるかもしれない。

「尊重」の中に「自由」や「適度な距離」やがあるのかもしれないし、「自由」の中に「尊重」や「適度な距離」があるのかもしれない。「適度な距離」の中には「ずかずか入り込んでこない礼儀」や「同じくらいの開き具合」があるのかもしれない。

それぞれが意味の中に入っていたり、独立したりしている。

 

だから、あぁ、言葉って人がそれぞれ意味を持たせているから、共通な認識は本当に難しいと思った。

土門さんが書いた「自由」と私のいう「自由」は似ているようで全く同じではない。

それは掘り下げても掘り下げても未知の領域だとおもう。

文中にも「人間がちがえば”自由”も異なります。」とある。

「自由」という言葉には無限の意味がある。他の言葉にだって。

人の数だけ、ひとりの人の中にさえ幾つもある。

だから私は、その人が言う言葉の意味をつい聞きたくなるんだ。同じ言葉を使っても認識は全く違うから。

 

そう考えていくと、

「誰かに会った時その人の何を見ていますか」

の今の私の答えが見えた気がした。

でもやっぱり1つに絞れなかった。

 

1つは

「発する言葉に込めるその人の純度」

 

1つは

「”人はひとり”という前提の意識があるか」

 

かな。

 

なんだか難しいけど、

前者は、その人が発する言葉、綴る言葉に、その人そのものを感じることができるか。

どれだけ言葉に自分の意味を持っているか、物語をもたせているか。

無意識的にその人はどんなスタンスで生きているということがわかる。

それを感じられる人はどんな環境や場面や人でも隠さずありのままの自分でということで、自分を尊重しているなぁと思う。それは私はこんな人ですけど、あなたはどう受け取りますか?という相手にも自由や尊重を与えているということなのかな。

 

後者も言えばおなじで、自分をひとりとして大事にすることができ、他者も全く別のひとりと尊重すること。少し寂しいと思いがちだけど、これは自分に対しても他者に対してもありのままが1番という状態なんだと思う。

明るいひとりという認識がその人の中にあるかを見ている気がする。

 

最終的にきちんとした「ひとり」と「ひとり」で接したいに行きつくので、この2つはそういう関係がこの人となら築けそうという判断材料になるのかな。

 

 

またまた書きすぎてよくわからなくなってきちゃった。

改めて自分の言葉を話すって難しいなぁと思う。

皆さん言語化がうまくて、誰かが読んで、あぁ、自分の感情ってこういうことだったのかも!と伝えられてて羨ましい。

私ももっと言葉を使えるようになりたい。