ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

 

 

2日ぶりの綺麗な晴天

坂の下から見上げても、坂の上から見下ろしても青だった

 

このまちは、急な坂が多い

海と空を見下ろしたり見上げたりできるんだ

やっぱり好きだなぁと思う

このまちが作る風景が

私の部屋から見える風景が

輝く西日が差す頃の、家々がつくりだす影と光が

ここへ来て3年目

ここじゃなきゃダメなのかな

似たような景色なら探せばあるのかな

自然があるからこその景色だ

だけど人間が作った景色でもある

 

 

日々、色んな事を考えてしまう。

この状況でも…いや、「だからこそ」やっぱり私は仕事と生活のことについて考えてしまう。

この状況にも疲労はあるんだけど、私、多分この状況によって変わった自分の環境から引き出される内省で疲労している。

仕事=生活? 仕事≠生活? 仕事=好きなこと? 仕事≠好きなこと?

仕事=人? 仕事≠人?   仕事=お金? 仕事≠お金?

仕事=???

これは私の人生で一生かけて取り組む課題だな。

どれも=でも≠でもない感じ。

思えば、初めて就職するとなった時から、え?無理じゃない?って思って就職活動が全く進まなかった。

お店について、そこの商品について、そこの人について1度や2度行ったくらいでわからないし、そこで働きたいだなんて正直思わない。何も知らない学生がそんな格付けみたいなことするものじゃないって言われた。(覚えがある。)

そうかもしれないけど、でも、それが凄い自分に嘘をついてるみたいで嫌で動けなかったんだ。

それが今となっては、こういうことだったんだってなんとなく分かってきた。

私の中で、「働く」というのは、その「場」というか一定の「時間」の自分の「居場所」になるわけで、それなら本当に心動かされる「もの」「人」「こと」じゃないとだめなんだ。それを1番に守らないとダメなんだ。そんな気がする。全部揃うなんてことはあり得ないと思うけど。

それが私の場合、とりあえずやってみれば好きになるとかじゃない気がしている。今までもそうだった。好きになるんじゃなくて、好きなものはもう私の中にあるような感じ。多分、好きなものや人やことは、接したらすぐに心は分かってるんだと思う。

私が気付けてるか。見て見ぬふりをしているのかも。

恋愛のアドバイス?とかでよく言われるけど、「付き合ってみたら好きになるかもしれない。」が多分私にはない。

何事も、「嫌いではないけど、特別好きでもない」「しろって言われたらするけど、自分からすすんでするほどではない」止まり。

ああ、やっぱり。目的や目標も大事だけど、それ以上に、そんなものなくてもなんでか知らないけどやりたいこと、良くわからないけど惹かれるものや人の方を大切にしたいんだな。

そう考えると、私も、ちゃんと選んできたんだなって思えてきた。自分の感覚を頼りに自分のペースでゆっくりだけど決めてきたんだと思う。もしくはそういう縁だけ残してきた。自分が自分を導いてきたのかもしれない。無意識ながらにも。

だからこれからも、しんどいけど、もやもやしながらゆっくりゆっくり自分と向き合って、目を背けるときもあるけど、そうやって決めていけるのかもしれない。