ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

世界は夢組と叶え組でできている / 桜林直子

以前「サクちゃんと蘭ちゃんのそもそも交換日記」をここで紹介した。

そのサクちゃんこと桜林直子さん著作されている本。

 

最初を読んでの自分の記録。

 

題名にある、「夢組」と「叶え組」

 

本書で「夢組」とは…

好きなことややりたいことがはっきり見えていて、それに夢中になることができる人たち。

これなら時間を忘れていくらでもしたいというような内側からどうしようもなくわいて溢れる行動の欲の持ち主。やりたいことをやりながら、お金や時間の問題がでてきたらその都度工夫をしながらする。

 

「叶え組」とは…

やりたいことがない。夢中になれることがない。

「お金と時間をつくりたい」「人が笑顔になれる居場所をつくりたい」などという状態の欲の持ち主。そこから逆算してするべきことを決める。

 

ということで、「仕事でもパートナーでも役割が違うだけだからチームで組み合わせるといいよ。」とある。

 

私はどっちだろう。

小さい頃は「夢組」だったのかもしれない。

だけど、今は「叶え組」?「夢組」になりたかった「叶え組」?

よくわからない。本当の私はどっちなのだろう。

過去を辿ってみる。

この変のことは多分前にも書いたと思うけど、きっと大切なこと。

 

小さい頃から、人は「大きくなったらなにになりたい?」と聞かれる。

私は、女の子ならお花屋さんなのかなぁと、一般論で答えていたように思う。別にしっくりは来てなかったし、花が特別好きでもなかったけど、ちゃんとした答えを言わなきゃいけない、書かなきゃいけない、空白は許されない。答えられないのはよくないこと。そう思っていた。小さい時には言える選択肢も少ない。知らないことばかりだから。

小学校6年生の卒業文集での「将来の夢」の欄。

その時点で少し責任を感じた。ちゃんとしたことを書かなきゃいけないんじゃないかという、私の真面目さがあった。

書いたらそれに向かわなきゃいけない。だって小学6年生ってもう色んなことを知ってある程度の判断はできる。子供だけど、何を言っても許されるほどの子供の期間はもう過ぎたと思っていた。

そこに私が書いたのは「パティシエ」だった。

お菓子作りは、姉や母とよくしていた。お菓子を作ることは好きだった。というより、レシピを見て作ったことが無いものを形にするのは、単純に、知らないものと出会ったらわくわくする私にとって(これは最近自覚したこと)それはそれはわくわくした。

食べることは好きだったし、なにしろ作ったものを食べることができるという特典がついてくる。

なにより、作ったものを家族や友達が褒めてくれたり、器用だねと言ってくれるのが嬉しかったし、その頃は単純だったので、「あ、私って器用なんだ。」「私の得意なことってこれなんだ」なんて感じていた。

だから今の自分で書けるとしたら、周りもそういってくれることだし、これかな。というので書いたように思う。

周りは、ピアニストとか理学療法士とかバスケット選手とかって書いてるのに私だけ書けないなんて…というプライドもあったのかもしれない。

それを書いてしまったからには、嘘をついてはならないといけない。というよくわからない責任感が生まれた。

多分、それを見た祖母に凄く喜ばれたと思う。祖母はよく私のことを自慢のように親戚やご近所に話をしていた。それがどう思われていたかはよくわからないけど。

「お菓子作りをいつもしていて、将来の夢はパティシエって書いとるんよ。」

と電話で嬉しそうに話していたのを覚えている。

それをきくたび、圧がかかっているようなきがした。期待されていて、それに応えなきゃいけないんだという。

私は小さい頃、割と運動はできた。球技や水泳以外。小学生の時、陸上大会で1位を何種目かで取った。県大会で何位かになった。

それも祖母は親戚などに自慢していた。

だけど別に私は走ることが特別好きなわけじゃなくて、走れたというか、両親がそういう体に生んでくれたからそういう能力が備わっていただけで、別にそれ自体が特別好きではなかった。誰かと遊ぶ鬼ごっことかは楽しかったけど、50m走とか、シャトルランとか、マラソンとかしんどかった。それも、大体学年で1、2位を争う位置に居たので、変にプレッシャーだった。負けたくない、1位を取ったら取り続けなきゃいけない。そんな感覚だった。しんどかった。

好きではなくできただけ。それが、備わっている才能と言うのかもしれない。

それを努力で伸ばしてやるべきなのかもしれない。

でも、だれかの期待に応えるためや、そんなプレッシャーを感じるのはしんどかった。

走りたくてたまらないわけじゃなかった。人と遊ぶためのツールだっただけ。

中学では運動部には入らなかった。

祖母はそんな私に、オリンピックとかを見ながら言っていた。「もし陸上続けとったら、こんな風になっとったかも。おしいことをしたね」と。

何度か言われたことがある。それはしんどかった。いつも苦笑いをしていた。

私の選択は間違っていたのか、期待を裏切って悲しませてしまったのか、私は努力やしんどさから逃げたダメなやつなのか。そういう想いが積もっていったようにおもう。

 

私は、家族から「我慢強い」「芯が通っている」って言われてきた。

けど、本当にそうなのかな?と感じる。

そういわれるからそうならなきゃって頑張ってたのもあるのかもしれない。

だって、ここまで、どう見たって、メンタル弱いし、自分に甘いじゃん。プレッシャーは背負えない。逃げてばっかだ。

何をするにしても、勝ち抜けるような人はそんな芯の強さがあるのだろう。

でも別に私はトップになりたい訳じゃない。一流、二流、三流…あなたはどこで生きる?なんて言う人もいるけど、私、そんなことに興味がない。 

 

中学は吹奏楽部で、部活が土日もほとんどあり学校生活で忙しかった。

部活は真剣にしたし、柄にもなく、生徒会にも入った。

ほんと、今思うとあの頃は果敢だったし、自分に厳しかったと思う。

生徒会は本当に苦痛だった。人前で喋るのが好きでもない、人を仕切るのが得意でもない。むしろ苦手。生徒会メンバーもあまり仲良くない。というか、1人1人とは喋れるけど、メンバー全員でいるときは居心地悪く、早く抜け出したかった。先生とも打ち解けるようなタイプではなかった。

なのに、何故立候補したか。

周りの人が、部長、副部長、委員長…次々なっていくのを見て、私も負けてられない。なにかやらなきゃって思ったから。ただそれだけ。

負けず嫌いもいいとこだ。

 

中学生活では、勉強、部活、生徒会、友達関係に必死だった。音楽に興味が強くなったのはそのころで、ギターを買って練習をした。お菓子作りはというと、あまりしていなくて、バレンタインや友達の誕生日に作るくらい。だけど、その時は張り切って作っていた。

 

中学3年生で進路を考えるとき。

やっぱりどうやって決めたらいいか分からなかった。普段から成績はよくしていたし、内申点もよかった。けど、それがその先を決める何かの役には立たなかった。別に、良い高校に入りたいから勉強していたわけじゃなかった。やっぱり、そこも期待に応えるためだった。中学1年生の学年末の通知表で酷い評価を貰った私は、中学2年生からは改心しようと決心。努力が実り良い通知表を貰った私は、クラスの皆から凄いといわれ、両親はそんなに気にするタイプじゃなかったのが、やはり祖母だ。祖母に褒められ、お決まりの親戚に自慢。一度取ったら、下がるわけにはいかない。と、中学3年までその位置をキープし続けただけなのだ。

期待やレッテルを維持するためだった。だから、こうなりたいから勉強するわけではないし、勉強がすきなわけじゃなかった。テストの為に頑張って、忘れる。興味があるから勉強していたわけじゃない。進学校に行きたいわけじゃない。今みたいな状況が続くのは嫌だとも思っていた。

そこで、再び、私はしたいこと(お菓子や料理)があるのになんで高校に行かなきゃならないんだ。と思った。のか現状を変えたくて思い込んだのかわしらないけど、高校へ行くということに疑問をもった。

私の中で、高校に行かずに働くという考えも頭をよぎったくらい。

それは、滅多に口出ししない両親が止めた。高校卒業資格は持っていた方がいい。と。

それで私はしぶしぶ調理科のある高校に決めた。私の中学からは前例のない受験先で、家からも通えない。そんなところを受験して合格した。

また祖母は喜んだ。そして自慢した。

私も素直に嬉しかったし、人と違うことをして成功したことに満足感を得ていたのかもしれない。

 

高校生活は楽しかった。

新たな土地で、新たな住まい、新たな人。

知らない料理を教えてもらえる。それをたまに帰った実家で作るとみんな褒めてくれる。美味しいと食べてくれる。

切磋琢磨するクラスメイト。

高校でも私は成績はクラスで1位2位を争う所を3年間キープした。

料理が好きで、好きで、実技の点は良いし、楽しそうに実習をするけど、座学はダメというクラスメイトがいた。

そっちの方がいい。と今になって思う。好きなものは好きで、嫌いなものは嫌い。自分に正直だ。

私はいつのまにか、楽しいがプレッシャーや期待に変わり、全部完璧にしなきゃと重くて苦しくて、耐えがたいものになる。

料理は好きだったし、できないことをできるようになる努力はする。例えば、オムレツが綺麗にできるように。とか、桂剥きが薄く長くできるようにシャトー切りが綺麗にできるように…

けど、私は、その先がない。用意されたものをそこのレベルに達するまでの努力はできるけど、新たな発想がない。

周りより上手くなりたいという負けず嫌いは発揮できても、そこが到達点で、それがなんだというのだろう。

高校3年生の時、進路を決める。ここでもよく分からなかった。

私はどこに向かうべきなのか。周りは就職が多かった。レストランや学校給食やパン屋やホテル…どれもしっくりこなかった。

専門学校か就職の2択だった。調理は3年間したけど、製菓はしていないから、このまま就職だと考えると怖くなったのだと思う。

高校はかなり校則があった。前髪の長さ、スカートの長さ、眉毛、身だしなみ。5分前行動。挨拶。

社会は厳しい。遅刻は厳禁。服装身だしなみはちゃんとしろ。高校生ができることなんてたかが知れてる、お金をもらって学ばさせていただいていると思え。

正しいことばかりなのだけど、随分脅かされていたようにも思う。

結局専門学校を選んだ。

このあたりからだ。なんだか今までのようにはいかないと思ったのは。

専門学校に入っても成績はキープするのだけどそれでなにになる。と思っていた。

厳しいと評判のフランス人の先生にも目をかけられていた。

だけど「夢中になる」とは違っていた。

やっぱりできる自分、真面目な自分を演じていたように思う。

やりたくてやっているはずなんだけど、期待に応えるために真剣なふりをしている。

期待に応えなければならない。そっちの方を重視してしまい、張り詰めていた。

それなら、夕方から夜中まで飲食店で働いて、授業中は寝ているような人の方がよっぽど健全なように思う。まぁ、何のために大金払って専門学校にきているんだとも思ってはいたけど。

就職を考えるときにもまた分からなかった。

就職しても、今でもまだ分からない。

今私のしたいことは、

「私がもらったように温かさを受け取れる居場所をつくること」

「人に何かを渡すこと」

これは状態の欲。

行動の欲は、あまり思い浮かばない。

カフェ製造を3年し、パン屋に務めて3年目になる。

正直なところ、作っていて楽しいがあまりない。作っていても誰の顔も浮かばない。

状態の欲を叶えるために、逆算して私ができることさえ思い浮かばない。

自分に自信がない。これが得意と言えることがない。私は、諦めて諦めてきた。上には上がいる。到底及ばない。プレッシャーがかかるのが耐えきれない。

いつもなにか違う。でもなにが正解か分からない。

いつも誰かの期待や周りの反応を気にしていた?かといって期待に応えられてもいない。そもそもその考えが間違いだ。

自分にとって幸せとはなんだろうか。

過去は過去なのできちんと向き合うのってわりとできる。

だけど現状と向き合うのはかなり難しい。

 

ここまで書いてきて、自分で感じた私の特徴。

 

昔から、人の言動を勝手にプレッシャーや期待と重く受け取りすぎるところがある。

そっちに焦点がいってしまい、自分を苦しめたり、抑制したりする。

幼少期からの祖母の発言の影響はかなり大きなものだと思う。

 

負けず嫌い、生真面目。

人の目、人のエネルギーによって突き動かされることも多い。自発的にはなかなか動けない。

あの人が頑張っているから私も頑張らなきゃ。とたまにこれもあの人は頑張ってるのに私はまだまだだ…となるときもある。

 

状態の欲はかなりある。というより、今まで心が落ち着かなかったから、張り詰めた状態でいたから解放されたいと思っているのかもしれない。

上記に書いた状態の欲に追加で

「体や呼吸が気持ちいい空間で過ごす(働く)」

「時間や心に余裕がある空間で過ごす(働く)」

「人と影響しながら過ごす(働く)」

があればいいと思う。

働く時間も自分の時間なのでありのままの自分でいられたらそれはどんなに良いことだろうかと思う。

とにかく、自分の心地よさ、精神的な心地よさを優先したいだけなのかもしれない。

とはいえ、「働く」とは、きっちりしないといけない。それはどんな仕事もだろう。

ふわっとなんかしていたら、お客さんに失礼だ。

その辺のメリハリのつけかた、切り替え方がまだわかっていない。

 

 

こうしてみると、私は「叶え組」なのかもしれない。

幼少期は「夢型」だったようにも思える。

なのでちょっとやっかいでややこしい「叶え組」

 私の状態の欲に多少は寄り添ってくれる夢組じゃないとタッグは組めないと思う。

違和感が出てきてしまうと思う。

それも大事にしたい。でもそれを伝えるより作業に没頭したいという人がいたならば、私がそれを気に入ることができて、それからその想いが感じられるなら、それを伝えることは割と得意なようにも思う。

私、営業の為に嘘を付くことや思ってもないことを言うことができないから。

本当に思ったことは大事にできるし想いを強く込めることができると思う。

それが経済的にとか、社会的にやっていくのは、効率的ではないというのが一般的であろうと、そういうものを大事にしたい。

だけどたまにそれを忘れてしまう自分にうんざりする。それをたまに忘れてしまうのは、時間と量を重視しなければいけない環境のせいだと思う自分にもうんざりする。

忘れてしまうのはなんでなんだろう。忘れるってことは本当は 違うのかなと自分を疑ってもしまう。


ここに自信を持つということや、なんで忘れてしまうのかの原因を探ることが私にとって大切な気がする。

 

現状、私は仕事であまりこうしたい!やこれがしたい!でやってることはあまりない。

経営者のこういう方針でいきたい。に、それならこうすることが良いだろうな。お店に入って目に付くものはなんだろう。私がお客さんだったらどうされたいか。という考えで動いていると思う。

だから、やりたいようにやってと言われたら、動けないと思う。私が入る領域じゃないとも思っている。経営者は私じゃないから。

指針がないというか、「経営者」と「私」ベースがまったく別のものだと思う。

途中で経営者と私を混ぜるのは無理だと思っていて、これは感情的にも。

こっちならこっちで最初から割りっていかないとやっていけないという感覚。

 

 

私にとって幸せとはなんだろう。

私の中に誰からの発言にも揺らがない何かを見つけることはできるだろうか。

 

どんな状況にあっても、自分の在り方や自分の人生が根本的な悩みの種だなぁと思う。

何も影響しない、(仕事だったらやめられたら困るからとかの感情も入るかもしれないから)嘘を付かない客観的な人の視点も聞けたらいいのになぁと思う。