ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

人として

人を見て、みんな素直でいい子だし、笑顔で人と接することができて、人のことをよく見て気遣える。

どうして私にはできいないんだろう。

私って人を不快にさせてるのかも。

思い込みかもしれないし、本当かもしれない。

 

「どうして」

それは、昔っから今までそういう態度で過ごしてきて、それを周りも受け入れてきたからだ。

「どうして」

と過去を遡っても変えようがないから考えるだけ無駄なのだろうか。

「どうしたら」

を考えるためには、原因を探るため、過去を見つめることは必要なのだろうか。

 

昔から人に話しかけるのが苦手だった。
特に年上の人には変な緊張感があって、話しかける内容を頭の中で準備して心で唱えて、声に出すタイミングを見計らう。

自分から話しかけられる人と、自分から話しかけるのが怖い人との2極化だった。

それは、家族にでもそうだった。

父、祖母、祖父、真ん中の姉 自分からほとんど話しかけられなかった。

なんでだろう。実際、話して怖い訳じゃないし、怒っているわけじゃない。

同じ部屋にいるだけで息が詰まるというか、胸になにかつっかえているような。そわそわ落ち着かない。自然体の自分ではいられない。2人きりというのが物凄く緊張する。

普段は気軽に話し掛けられる人でさえ、相手がなんだか機嫌が悪そうだったり、泣いていたり、集中していたり、疲れているように見えた時も同じような感覚になり、話かけられなくなる。

それはもう、保育所、小学校、中学校、高校、専門学校、社会に出てから…ずっとずっと二極化だった。

そりゃぁまぁ、誰にでもあるものなのかもしれないけど、ちょっと重症すぎだなぁと思う。

どうしてなんだろうか。

何を話せばいいかわからない。何と声をかければいいかわからない。

どうせ、この人はこう思ってるんだろうな。どうせわたしなんて。私ががんばったところで。という思い込みやひねくれ?

 

じゃぁ、どうしたら。

と度々本を見たり人に影響されて感化され、頑張ってはみるものの、時間が経てばどうももとに戻っていって、またダメだった。ってなる。どんどん自信がなくなる。

自信がなくなると、ますます話すことが怖くなって、ますます思い込みが激しくなってしまう。すると、ますます話さなくなって、単独で突き進んでしまう。

それがわかっているのに。

何度も何度も繰り返す。ずーっと同じ場所を周回しているだけな気がする。

どうやっても抜け出せない。

 

扉が開いて、閉じて。

それを自分でも冷静に、開いてるな。あれ?この前まで開いてたのに閉じてきた。しかも何重にも重なってる。と分かるのだけれども、自分の意志でコントロールできなくて、でも、誘導してるのは明らかに自分で止められない。