サクちゃんは、自分はどうしてやりたいことがないのかを考えたときに、周りの目に付く人にどうしてその仕事をしているのかを聞いていったとある。
そこで、
「外からの要素が大きくて、それを「自分のものだ」と思い込んで掴むことができるかどうかなのかもしれないな、と思うようになりました。」
と。
その思い込んで掴むことができるのも、とくにサクちゃんがいう「素直さ」
自分を調子に乗らせるには素直に他人の言葉を受けとることも大事なんだな。
私はいつからか、自分よりできる人はたくさんいる。同じことをしても意味がない。と思うようになった。
今では、近くにいる人の肯定的な言葉が、自信がない私を知っていてそう言葉をかけてくれているんだな。あるいは、その人にとって都合の良い人間だから傍に置ておくための方便なんて思うようになってしまった。
なので逆に、自分を全く知らない初対面の人に、「こんなことできるんですね!凄い!」「あなたはこういうことが強みなんですね。」と言われた方が素直に喜べる私は相当こじらせている。
そんな私だけど、なんだかんだ自分大好き人間なのだと思う。
「自分がどんな人間なのか知りたい、理解したい」
いつも、もう1人の自分が自分を見てる。
最近思うのが、「自分は子供心を忘れていない」ということ。
黙っていれば、凄く大人しそうできっちりしてて取っつきにくいイメージを醸し出していると思う。
けど、本当は喋るの好きだし、結構怠け者だし、甘えたい。よく笑うし、楽しい冗談も好きだし、バカなことをするのも好き。ちょっと卑屈で批判っぽいけれども。
それが、出せる場や人を大事にしなきゃなぁと思う。
だけどきっと、それは選らばなきゃいけない。場も人も。じゃない生きにくい。
そのバランスがまだちょっととれてないなぁと自分で分かる。
どこでも、本当の自分でいたくて、でもそれじゃダメだとわかってて、でも納得できなくて…
あっ、ここはこんなに自分を出したらダメだった。とあとで気付いて自己嫌悪することが最近多い。
昔そうして「最近調子に乗ってる」って言われた過去がまだ私の中に残っているんだな。それに囚われているんだ、まだ。
「変な人」って思われたくないんだ。
でも「変な人」上等なはず。
それなら、分かってくれる、さらけ出せる場だと思っていたところが実は違ったんだというショックの方が大きい。
近付いて、遠ざけられるショックが大きいから調節してる。(時、既に遅しかもだけど。)
ある人に、「良くも悪くも子供っぽいんでしょうね」
と言われた。肝心なところでは子供っぽくなれないし、悪くもは余計だなと思ったけど聞き流しておいた。
「ふわっとしてる」というのも昔から今日まで何度も言われてきた。
昔はそれが特に嫌じゃなかった。
けど最近は、それって軸がない、明確な何かがないってこと。もっもきっちりしなさいの遠回しなのかなぁと落ち込む。
いや、でも軸はあるんだよなぁ。
自分自身の責任の軸。自分のなかのルールみたいな軸はかなりはっきりとしていると思うし、よく人に言われる。
『楽観的に陽気にみえて芯は強い』
じゃぁ何にたいしてふわっとしているのか。そこがいまいち私のなかで繋がらない。
「自分以外の物事」に対して?
「自分のものに出来ていない物事」に対して?
ただ、自分のなかでは明確だけど言葉にできないそれがそう見せるだけなのか。
陽気なのは予防線?なんなんだろ。
芯というものをふわっとしたなにかが覆っているのだろうか。それでバランスを取れた気になっているのか。
あるいは、自分の中心に触れることを恐れてアンテナを狭めているのか。
みなさんは、本当の自分はこれだ!と胸を張って言えますか?
そしてその自分をさらけ出せる場や人ってどれくらいもっていますか?
なーんてことを考えてしまった。
バランスって本当に難しいなぁ。と思う。何かにつけてバランス、バランス…
じゃぁ、誰がここがちょうど良い位置ですよと決めるのだろうか。